キリストのいのち感じる絵を描きたい
<画家>木滑 美恵
プロフィール:1958年、北海道生まれ。札幌大谷短期大学専攻科美術を終了後、大谷高校の講師などを務めた。「黙示録22章12節」(写真上)で、1996年に北海道美術協会(道展)会友賞を受賞。97年に道展会員。2011年、新制作協会の協友に。創作活動の傍ら、木滑美恵絵画教室を主宰。旭川めぐみ教会員。
北海道・旭川在住の画家、木滑美恵さんは、自宅アトリエで「現代の聖画」を描いている。力強い描写の現代的な具象画だ。主婦としての役割や絵画教室での指導を続けながら、毎年、秋に開かれる全国規模の美術展に作品を応募し続けている。レベルの高さで定評のある「新制作展」では、15回以上入選しないと与えられない資格「協友」にもなっている。
教員だったお父さんが絵を描いていたこともあり、小さな頃から絵が好きだった。その後、美術短大で学び、卒業後は教授のアシスタントとして働く。38歳の時に洗礼を受け、それ以降、画風も大きく変わった。
「イエス様の十字架の痛みについて、聖書を何度読んでも実感が湧きませんでした。しかし、グリューネ・バルト(十六世紀の画家)の十字架の絵を見て、自分でも十字架の絵を描きたくなり、画中画として描いている途中、血が逆流するような感じになりました。イエス様の痛みを知ったのです。『ああイエス様は、こんなにつらい思いをして十字架に掛かってくれたんだ。それは自分の罪のためだったんだ』と本当に理解できた瞬間でした」
3人の子どもが小さな頃も、睡眠時間を削って描き続けた。
「授乳で3時間おきに起きた後に30分でも描きました。肉体的には、とても苦しかったのですが、絵筆を取ることを休むほうが辛かった。そして、主人と、両親の理解があったから描き続けることができた」
その頃、キリスト者として絵を描くことの意味について悩みながらも、とにかく描き続けた絵(右頁)が、北海道美術協会(道展)会友賞と北海道女流選抜展十周年記念特別賞を受賞。それは木滑さんに画家としてのキャリアと自信を与えた。
「絵の師が『描くことは現実との和解だ』と言っていました。肩書きも受賞歴も関係なく、一個の人間として白いキャンバスに向き合う。そうすると現実と和解できるのです。だから試練の時でも、キャンバスに向かうと穏やかになれる。本当に不思議なんですが、神様と向き合うような気持ちなんですよ」
木滑さんが生まれる前、生まれ育った家族には悲しい出来事があった。
一家が暮らしていた北海道の炭鉱町で、木滑さんの姉(当時3歳)が貨物列車にひかれてしまったのである。
「母は近所の人の叫び声で気づき、線路で遊んでいた娘のところに走っていきましたが間に合いませんでした。すぐ目の前で娘が車輪に引き込まれていくのを見てしまったのです。それ以来、母は、自分が子どもを死なせてしまったという思いを強くもち続けて生きていました。私の前で、時折、人が変わったように泣き叫ぶことがあり、私は、そのたびに母を抱いて背中をさすり慰めました。母の悲しみに解決策はないのだろうか、幼い子は死んで終わりなのかと、いつも思っていました」
その悲しみを抱えていた木滑さんは、クリスチャンになる前、自宅に訪ねてきた婦人からキリスト教に似てはいるが本質的なところで違う異端の宗教に誘われ、八年間、学んでいたことがあった。
「最初は親切だった教団の人たちが、だんだん私の生活を統制するようになりました。そして、神様のことを学んでいるのに、心はどんどん重くなっていったのです」
そんな姿を心配したご主人が、ウィリアム・ウッド氏の異端対策の本を買ってきた。その本は問題を丁寧に取り扱っていて、教団に対する疑問にも答えられているという感触があった。そんなとき、急に聖書カバーが欲しくてたまらなくなった。
「それで街の本屋に行ったら、女店員さんが『ここにはありません。でも、すぐ近くの電気店の2階に行ってください』ときっぱり言ったのです。そこは小さなキリスト教書店でした。
その店の片隅に『異端コーナー』があり、そこに私の所属する団体も入っていた。
その時、初めて『ああ! 異端だった…』と客観的に自覚できたのです。
8年間、大変な思いをしながら懸命に学び、伝道し、子どもたちも私のことばを信じていたのに…。それがすべて否定されるのですから、人生で最も困難な時期でした」
その時、木滑さんは本当のことを知りたいと思った。「間違いがあるなら、必ず正しいものがあるはずだ」と。そして、ご主人の了解も得て、正統的なキリスト教会であることをよく確かめたうえで、旭川めぐみ教会を訪ねた。そして、牧師に、それまでの疑問をぶつけてみた。
「幼くして亡くなった姉も天に召されていること、行いでなく、信仰によって救われることなど、聖書の中に解決策があることを実感できた」
以前とは変わった木滑さんの姿をみて、ご主人は洗礼を受けることにも同意してくれた。
鉄道事故で亡くなった幼い姉のことを、木滑さんは次第に新たな視点で見ることができるようになった。
「あの事故で、福音の種が蒔かれたのだと思います。悲劇に向き合う母の苦しみがあったからこそ、私が洗礼を受け、その後、すぐ上の姉、さらに私の長男、長女も救われた。そして亡くなった母も父も信仰を表わしたのです」
深い悲しみもあった。異端宗教に絡め取られた失敗もあった。しかし、試練を経験した人ほど、いい絵を描けると話す。
「心が震えるくらい描きたいものがあったから、描き続けることできた。今、目には見えませんが、ほえたける獅子が私たちの周りをうろついている(Ⅰペテロ5・8、9)ことを感じます。ある説教で、キリスト教は、宗教でも哲学でもなく、いのちそのものだと聞きました。それを感じる絵を描いていきたい」
いにしえの聖画が聖書の視覚教材であったように、木滑さんの絵は、聖書が現代人のいのちにつながっていることを感覚的に訴え続けている。 (砂原俊幸)
<「百万人の福音」2017年2月号より>