《旅する教会》南インド編⑧:アーク教会

社会・国際

旅する教会 ーアジアの教会を訪ねて:南インド編⑧

鈴木光(すずき・ひかり):1980年、横須賀生まれ東京育ち。アメリカの神学校を卒業後、2006年に日本キリスト教団勝田教会に伝道師として赴任。2010年より主任牧師。妻と娘1人。著書に『「バカな平和主義者」と独りよがりな正義の味方』(2016年、いのちのことば社)、『伝道のステップ1、2、3』(2018年、日本基督教団出版局)。趣味は読書(マンガ)とゲーム、映画、ネット。

 これはアジアの教会のリーダーたちが、互いの国の教会やリーダーを訪ね歩いて学んでいく共同体型の研修〝PALD(Pan Asia Leadership Development)〟の様子を記した旅エッセイである。僕と旅の仲間たちの道中を、どうぞお楽しみください。(毎週火・金曜日更新! この旅のはじまりについてはこちら

アーク教会

 ジェイ(南インドからの参加者)が牧会するアーク教会でエベ先生のお話を聞いた後、ジェイの夫人や各ミニストリーのスタッフが、アーク教会の歩みや働きについて分かち合ってくれた。

礼拝堂、壇上はまだクリスマスの装い

急速な成長

 アーク教会は2004年にジェイ夫妻を含め5人のメンバーで始まった開拓教会だ。わずか15年で1000人を超える教会に成長している。正直、どうしてそうなったの、と思うところだが色々聞いてみて分かったことは、色々やっているけど、どれかが特別な働きだから成長したということではないということだ。言いかたを変えれば、導かれるままにやるべきことをやってきた結果なのだろうなというのが僕の受けた印象だった。

 聖書の御言葉からビジョンを与えられて働きを始め、様々な社会的な働きもし、癒しや聖霊による御業も起きているし、街の野外での伝道集会や、よく準備された弟子訓練や小グループのプログラム(アーク教会では「DNAプログラム」と呼び、welcome → worship → word → work という4W形式で活動ができるようにしてDNAのように各グループの基礎を築いている)もある。
 でも、何よりもそれらやるべきことをやった上で、主がそのようになさったから、というのが結論だと思った。やってきたプログラムや、やり方については後からも個人的にジェイをかなり質問攻めにして具体的なことを聞いたと思うので、単なる印象ではなくて、多分あっているのではないかと思う。

 その上で、ユニークな特徴としては、子どもたちの保護ミニストリーと、教会としてビジネスを積極的に行っていることが印象に残った。この点、もう少し紹介しよう。

子どもたちの保護ミニストリーと、教会のビジネス

 教会の伝道を始めた2004年に彼らが同時に始めたのは「Rakshak」というミニストリーで、「保護」という意味らしい。貧しい、生活に保護が必要な子どもたちを支援する働きだ。興味深かったのは、働きを続ける中でミニストリーの子どもたちへのアプローチが変えられていったということ。

 最初の2年は「Charity Model(施し型)」で、英語クラスを行ったり、栄養の足りない子どもたちのために牛乳を提供したりしていた。そして、次の10年は「Need Based Model(ニーズ応答型)」になり、子どもたちの学習機会として授業を行い、1日1回ちゃんとした給食を出し、また衣類を提供したり、災害時の支援をしたりしてきた。
 それがさらに、2018年からは「Right Based Approach(人権に基づくやり方)」に切り替えたという。提供している内容としてはこれまでと大きく変化したようには見られなかったが、ニーズに応えるのはキリがないし、神様の御心を求めてと言うより人の願いに応えるばかりになるという面がある。だからこそ、個別なニーズに応えるフェイズから、広い視野で人権に基づいた支援をしていくようにされたというのは、重要な意味のある変化だと思う。
 
 外の看板にも大きく出ていた「Petras」というのは、不動産というか建物を建てて売るビジネスだ。おそらくPetrasという名前は「私はこの岩の上に教会を建てる」から来ていると思う。ビジネス向けの建物の建売をしていて、教会の地下にあるPetrasのオフィスも見せてもらったが、若い従業員が何人も働いていた。こうして若者の働く場が信仰に基づいて提供されているというのもまた、地域社会にとって目に見えるインパクトを与える重要なミニストリーになっているのだと思う。
 
 最後にジェイが、「色々な働きやミニストリーをしているけど、どれも含めて『教会』と考えているんだ」といってまとめた。

どれも教会としての働きと語るジェイ

見かたが変われば

 僕は最初の印象として、ベンチャー企業の若社長みたいだなとジェイを見ていた。それは、いわゆる「教会のミニストリー」ということと、「ビジネス」ということを地続きで見ることができなかったのでどちらかというと、胡散臭い人を半分怪しむように見ていたということだ(断っておくがベンチャー企業をディスっているわけではない)。
 だけど、こうしてジェイと実際に行動して話を聞いたり、教会の様子を見たりしてわかってきたことは、僕の中の先入観というか、狭いパラダイムで見ていただけだったのだなということだ。

 僕自身が仕えている教会も保育園を附属で経営しているが、確かにそこで得る地域との信頼関係や、その働き自体を聖書的な価値観の中で行うことには大きな意味を感じている。そういった教会の働きが、必ずしも教育的とか、福祉的な働きに限られなければいけない理由はまったくないわけで、むしろ神様の創造したこの世界と人々の真っただ中に関わりを持ち、「そこに教会を建てていくこと」は本当に必要なことだと感じた。

 ちょっと面白かったのは、ダレ(カンボジアからの参加者)がこのインドでの旅の終わりにジェイに感謝を込めて言った言葉だ。いわく「最初、このPALDの旅が始まった頃は、ジェイが携帯をいじってばかりいて真面目に参加していないように感じて、批判的に見ていたけど、今回、たくさんのミニストリーをしているのを見て本当に忙しかったからなんだとわかったよ」とのこと。僕も胡散臭いと思っていたので、心から同意した。そして、それをわざわざ正直に言うダレもスゲーなと思った。

 ちなみに、僕はダレもソピも(カンボジアのコンビ)ずっと写真ばっかり撮っているので、それもどうかなと思っていたけど、ソピが「僕は外国を体験できているけど、家族が同じものを見られないから送っているんだ」というのを聞いて、物事の見かたが一面しかない自分の浅はかさを感じたのだった。
 実際に当人と接して、背景を見てはじめてわかることも多い、というのをあらためて感じたのだった。あと、自分ももう少し家族に分かち合った方がいいな。

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