《旅する教会》南インド編⑦:すべての町々に教会を

社会・国際

旅する教会 ーアジアの教会を訪ねて:南インド編⑦

鈴木光(すずき・ひかり):1980年、横須賀生まれ東京育ち。アメリカの神学校を卒業後、2006年に日本キリスト教団勝田教会に伝道師として赴任。2010年より主任牧師。妻と娘1人。著書に『「バカな平和主義者」と独りよがりな正義の味方』(2016年、いのちのことば社)、『伝道のステップ1、2、3』(2018年、日本基督教団出版局)。趣味は読書(マンガ)とゲーム、映画、ネット。

 これはアジアの教会のリーダーたちが、互いの国の教会やリーダーを訪ね歩いて学んでいく共同体型の研修〝PALD(Pan Asia Leadership Development)〟の様子を記した旅エッセイである。僕と旅の仲間たちの道中を、どうぞお楽しみください。(毎週火・金曜日更新! この旅のはじまりについてはこちら

スポンサーリンク

すべての町々に教会を

 午後になり、ジェイ(南インドの研修参加者)が開拓伝道をし、主任牧師として現在も仕えている「The Ark Victory Church」に移動した。3、4階建てのビルで、壁には大きく日曜の集会時間の案内が出ている。現地語、英語、バイリンガル、若者向けなど6つの礼拝に加えて子ども向けミニストリーが2回あるようだ。教会の名前とは別に「PETRAS」という名前も出ていて、なんだろうと思ったら教会がやっている不動産ビジネスの会社名だそうだ。

The Ark Victory Church

 ジェイのお洒落なオフィスを見学し、そこで少し遅めの昼食が振る舞われた。大きな葉っぱが運ばれてきたので何かと思うとバナナの葉だという。インドの伝統的なおもてなし形式で食事を出してくれるそうで、まず皿代わりのバナナの葉を数滴の水を垂らして洗い流し(テーブルの上でそのまま)、そこに米やオカズが小分けになっていくつも置かれていく。それを好きなように混ぜ合わせながら食べていくのだ。美味しいし、楽しい。

バナナの葉っぱをお皿に昼食、美味しい

霊的リーダーの模範、エベ先生と眠気

 昼食後は今日の話を聞かせてくれるエベ先生を迎えた。
 物腰柔らかな小柄なご老人のエベ先生は、インド宣教協会(Indian Mission Association)の元事務局長で、クリスチャン・マネージメント研究所(Christian Management Institute)の開設者の方だ。年齢がかなり上だということもあると思うけど、ジェイやラジブ(同じくインドの研修参加者)がエベ先生を迎える丁重な姿勢を見ると、すごく偉い先生なのだということがわかるが、ご本人はそんな態度は全然見せない。

 これはこの旅を通じて他の国の先生たちもそうなのだけど、各国で話を聞かせてもらうために「この人」とお願いした方々は皆、本当に謙遜で気さくな態度の人ばかりだった。話の内容からの学びも言うまでもなく素晴らしいが、霊的なリーダーの姿そのものから学ぶことも多い。

 と言いつつ実はエベ先生のお話の最中、僕は疲労のピークでかなり寝てしまった。頑張って目を覚まそうとしていたのだが、おそらくかえって激しく船を漕いでいたと思う。今になって本当に申し訳ない気持ちでいっぱいになっている。
 幸いにして(?)、エベ先生はお話の要旨を文書でも下さったので、後で読み返すことができた。そして、深く考えさせられる内容であったことを知り、ますます申し訳ない気持ちになるのだった。

新たなキリスト教信仰の中心地として

 まず印象に残ったのは、「キリスト教信仰はまずアジア人のものだった」という視点。
 確かに、聖書の主要な舞台となる地域は「アジア」で、その後の使徒言行録にも関わりが多々出てくることを指摘された。最初の1000年はアジアで、次の1000年は西洋世界で、そして今私たちの生きている1000年は、いわゆる「第三世界」と呼ばれている所に中心が映りつつあると表現されている。その中でアジアが果たす役割は大きいとエベ先生は語る。

 帝国主義の時代から引き継がれてきた「西洋的な価値観の中でのキリスト教」としてでは伝えきれないものを、わたしたちアジア人こそが、同じアジアの中にも、そして他の第三世界の国々・人々にも伝えられるのだという。
 その中で特にインドの果たすべき役割を真剣に考え、実践してきたことを分かち合ってくれた。印象的なものをいくつか挙げたいと思う。

 インドは地理的に2万8000個の郵便番号で分けられているという。その内の半分近くには伝道者が住んでいない。それで、インド宣教協会(IMA)の働きでは、すべての郵便番号地域に最低1人のフルタイム伝道者を置くという目標をもって進めてきたそうだ。
 実はアジアンアクセス・ジャパンでも、「教会のない市町村に教会が生まれるように」ということは目標としてずっと掲げてきたものであったし、特に当初は郵便局の数ほど教会が生まれるようにと言っていたので不思議な共通点に驚いた。
 ちなみに郵政民営化などいろいろあったので、今は「日本にコンビニの数ほどの教会を」とよく言われていることを付け加えておきたい。決してコンビニエンスなご利益信仰を伝えようという意味ではない。イエス様を捜し求める人がすぐに出会うことができるようにという期待を込めているのだ。

南インド編⑧「アーク教会」へ >