《旅する教会》南インド編⑤:復活のイエス様に出会って

社会・国際

旅する教会 ーアジアの教会を訪ねて:南インド編⑤

鈴木光(すずき・ひかり):1980年、横須賀生まれ東京育ち。アメリカの神学校を卒業後、2006年に日本キリスト教団勝田教会に伝道師として赴任。2010年より主任牧師。妻と娘1人。著書に『「バカな平和主義者」と独りよがりな正義の味方』(2016年、いのちのことば社)、『伝道のステップ1、2、3』(2018年、日本基督教団出版局)。趣味は読書(マンガ)とゲーム、映画、ネット。

 これはアジアの教会のリーダーたちが、互いの国の教会やリーダーを訪ね歩いて学んでいく共同体型の研修〝PALD(Pan Asia Leadership Development)〟の様子を記した旅エッセイである。僕と旅の仲間たちの道中を、どうぞお楽しみください。(毎週火・金曜日更新! この旅のはじまりについてはこちら

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復活のイエス様に出会って

使徒トマスの終焉?

 旅の3日目はまず、使徒トマスが晩年に隠れ家としていた洞窟跡と、そこにあるチャペルを見学した。観光地として整備しているのか、色々と工事中のところが多く、なぜかイエス様の復活の墓を模した施設なんかもあって、少し雑然とした感のある中を歩いて回る。
 トマスを模した像はどこの史跡にもあるが、その内のいくつかは槍を持っている。槍で殺されたからなのだろうかとも思ったが、殺された槍を本人が持っているのは意味不明だと思い困惑する。それでインドからの参加者ラジブにどういうことかと質問すると、おそらくそれはヒンズー教の多い地域での伝道のための文脈化(contextualization)だという。ヒンズーの神々は槍をもった姿がよく出て来るが、その人たちに馴染みよく伝えるために、現地の文化背景に合わせたというわけだ。カトリック教会は宣教において現地の文脈に沿わせて自然な形で伝えようとする手法に長けていることが多い。ここでもそんな一端を見た気がした。

槍を持つトマス

 さて、敷地内を歩いて色々見て回り、最後に実際にトマスが隠れていたとされる洞窟の中にも入ることができた。3つくらいの岩の切れ間から差し込む光以外は真っ暗で、ここに4年間も隠れていたと想像すると確かにつらい。伝承によれば、ここに踏み込んだヒンズー教の兵士から逃れ、昨日訪れた殺された場所まで追われてそこで命を落としたという。
 例にもれず実際に使徒トマスが残した足跡とか、手の跡などが説明書きと共に記されていて、ちょっと足跡大きすぎではと思うような面もあるものの、実際の出来事をリアルにイメージするためには良いきっかけかもしれない。
 

洞窟にわずかに差し込む光

トマスの伝道の原動力

 晩年の隠れ家、殺された丘、葬られた墓を逆の順で見てきたけれども、その「死」にまつわる史跡ばかりを巡り、同時に「私の主、私の神よ」という信仰告白を何度も目にする中でハッと気づいたことがある。それは、彼がこんなにも遠い異国の地まで来て福音を伝えた理由だ。それはきっと「イエス様の復活が本当だったから」だろう。あの聖書に記された出来事が本当に本当だったからだな、と僕は気づいたのだ。
 6000km以上の旅の果て、言葉の通じない異教の地で20年にわたって福音を伝え、やがて丘の上で命を落とす道を選んだのは、やはり本当に復活したイエス様に会って、救いと永遠の命を確かなものだとわかったからだと思う。だからこそ、この「事実」を地の果てまで伝えなければならないという使命感をもって旅立つことができ、また死の危険の恐れを超えて福音を語り続けることができたのだろう。

 イエス・キリストは実に復活された。
 トマスの生涯が何よりも雄弁にそれを証ししているのだと、この地で知った。

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