《旅する教会》南インド編③:見捨てられた人々に福音を

社会・国際

旅する教会 ーアジアの教会を訪ねて:南インド編③

鈴木光(すずき・ひかり):1980年、横須賀生まれ東京育ち。アメリカの神学校を卒業後、2006年に日本キリスト教団勝田教会に伝道師として赴任。2010年より主任牧師。妻と娘1人。著書に『「バカな平和主義者」と独りよがりな正義の味方』(2016年、いのちのことば社)、『伝道のステップ1、2、3』(2018年、日本基督教団出版局)。趣味は読書(マンガ)とゲーム、映画、ネット。

 これはアジアの教会のリーダーたちが、互いの国の教会やリーダーを訪ね歩いて学んでいく共同体型の研修〝PALD(Pan Asia Leadership Development)〟の様子を記した旅エッセイである。僕と旅の仲間たちの道中を、どうぞお楽しみください。(毎週火・金曜日更新! この旅のはじまりについてはこちら

見捨てられた人々に福音を

使徒トマスゆかりの山

 2日目の朝はまず、昨日に引き続き、使徒トマスゆかりの地に行く。今回はトマスが処刑されたという山(というか丘?)だ。
 昔は巡礼も兼ねて下から歩いて上ったそうだが、今は車でほとんど頂上まで行けるので、時間の限られた旅にはありがたい。山上にはやはり記念の教会が建てられている。そして入り口にはもちろん「わたしの主、わたしの神よ」が刻まれ、イエス様とその脇腹に手を伸ばすトマスの銅像が置かれていた。
 山頂からなので、周りを見回すと風景がとても美しい。トマスが殉教した時も、わざわざ山頂まで連れていかれたのだろうか。風景はどんなだっただろうか。イエス様もゴルゴタの丘の上で十字架につけられたけれども、その目に映ったのはどんな景色だったのだろうか。

銅の像。私の主、私の神

 見学を終え、丘をくだり、今度は車で郊外に移動する。
 “Word for the World”という宣教団体の本部に話を聞きに来た。
 パッと見は田舎の風景が広がる。建物はまばらで、牛がたくさん歩いている。でも、街中でもたびたび牛は見かけたので、それが田舎の象徴とはいえないかもしれない。
 もっと言えば、この宣教団体は特に貧しい人々への伝道を使命としているので、ここよりずっと田舎の貧しい地域で宣教をしている。その様子を聞き比べるに、この辺りはそんなに田舎ではないのだろう。

宣教団体のある郊外の風景

宣教団体の本部の建物

〝見捨てられた人々〟への伝道

 さて、大きめの民家のような、決して派手ではない建物の本部で迎えてくれたのは、この宣教団体を1991年に始めた創始者の先生夫妻と、インド各地で活動している3組の国内宣教師たちだった。
 創始者の先生ご夫妻は20年以上にわたって牧師の働きをした後で、1990年から神様の導きを受けて祈り始め、まったく新しくこの働きを始めたという。どんな働きをするべきかと40日間の断食の祈りを通して、明確なビジョンを受け取った。それは「見捨てられた人々(Neglect)へ福音を伝える働きにフォーカスをするように」という神様の語りかけだったそうだ。特にその中でも、ハンセン病患者、スラム住民、貧困村の人々、そして障がいを負った子どもたちへ福音を伝えることを具体的な使命としてきた。
 まったくゼロから始めたけれども、2016年に迎えた25周年の記念資料によると、その時点で1800人のクリスチャンが生まれ、220の村、45のスラム、110人の特別な支援を必要とする子どもたちへの働きをするようになったそうだ。
 人間関係を作り、聖書の学びグループを作り、礼拝する群れを作り、やがて祈りの家と呼ぶ集会場所を確保していくという形で教会を建てあげているという。

 具体的な働きの様子を教えてくれるために、わざわざインド各地から宣教師たちが来てくれた。
 まず3組の内、2人はそれぞれチェンナイ(東海岸)とは反対のインドの西海岸に位置するムンバイで活動している宣教師たちだった。
 1人は郊外の村で、1人はインド映画の製作地として有名なボリウッド近くのスラム街で伝道している男性たちだった。
 郊外の村では福音に耳を傾けてくれる人々はいるけれども、ほとんどがヒンズー教の地域で、周りの目を気にしながらクリスチャンになったり、あるいはクリスチャンになったことを表明するのが難しいと感じたりしている人々の中で伝道しているという。
 一方で都市のスラムでは、自殺者が多く、アルコールや薬物の中毒者が多い中で、スクラップ(鉄くず)を集めては売って生活している子どもたちに向けた伝道の働きをしているそうだ。

過酷な宣教地オリッサ

 最後の1組は、インドの北東に位置するオリッサで活動する宣教師夫妻だった。
 「オリッサ」という地名は聞き覚えがある人がいるかもしれない。2008年に州内のカンタマルで反キリスト教グループが先導する迫害暴動が起こり、会堂や集会所が襲撃され、多くのクリスチャンが命を落とした。公之発表では30名、報道では100名以上と言われているが、この宣教師夫妻が語った犠牲者の数はそれをはるかに超えていた。人々が会堂に閉じ込められて火をかけられ、残った人々は森に逃げ込んで息をひそめたという。
 オリッサの人々はキリスト教を外国のものと考えていて、異質なものだとみているし、人口の90%以上を占めるヒンズー教の中でも政治的な意図が強い過激なグループもあって、2008年のものに限らず暴力を伴う迫害は日常であるそうだ。そもそも集会の場所を借りるのに苦労するし、飲食物にも(毒を入れられることがあるので)警戒が必要で、宣教師夫妻も夜中に襲撃を受けて負傷し今でも後遺症が残っている。
 しかし、村々やスラムで伝道を続け、受洗者も数多い。ただし信仰を公にするのは難しいという。洗礼式の日、濡れていると受洗がバレるので困るなと思っていたら、ちょうど大雨が降って神様に感謝したと信徒さんが証ししてくれたこともあったそうだ。
 なぜそんな状況でなお伝道を続けられるのかと思ってしまうが、今この団体で活動している宣教師たちの実に7割は、この「Word for the World」のミニストリーで救われ、その中で訓練を受け、そのまま働きに遣わされているのだ。この困難の中でなお福音を語り続けるのは、やはり本当に純粋にイエス様の救いを受け取って、御言葉どおりの希望を確信しているからなのだろうと思う。
 激しい迫害と共に、奇跡的な経験も数限りないという。聖書の使徒たちの働きそのままのことがリアルタイムで起きているのだろう。聞く話の壮絶さと、彼らの明るい表情にはあまりにギャップがあるのだけど、それはもちろん信仰の確かな証しだと思う。
 「迫害が私たちに力を与えてくれた」と夫人宣教師は言う。

 また一方で、22時間もかけてここ(チェンナイの本部)まで来てくれたのだけど、それは彼らにとっては一時の緊張を解くことができる機会だったのかもしれない。オリッサの夫妻が最後に語ったメッセージは「守られるように祈ってください」ということだった。とてもシンプルな祈りの課題であったが、そうだな、祈らなければと思った。

 最後に、高澤先(Asian Access Internationalの副総裁)が「この働きを始める時に何が大きかったですか」と代表に質問すると、次のように答えてくれた。
 第1に、ビジョンを与えられたこと。働きを見捨てられた人々にフォーカスするようにと。
 第2に、祈りが土台だったこと。祈りだけが勝利をもたらすということ。
 最後に、天で主が待っておられるという「究極のゴール」を見据えて進むこと。
 
 経済的には貧しい中で働きをしているけど、生活のことは宣教師それぞれが何とかやっているそうだ。先に触れた25周年の記念誌もほとんどのページが外部団体の挨拶文(言葉は読めない所も多いので多分)なのを見ると、献金と自活の全部を宣教に注ぎ込んでいるのはよくわかる。
 富と繁栄(prosperity & wealth)とはまるで逆の祝福が満ちている。いや、目に見えない、朽ちることがない本物の富と繁栄があるのだなと思う。

支障が無いよう、代表者ご家族以外顔ぼかしましたが、宣教師たちのために祈りましょう

アジア圏の共通点と相違点

 ちなみに、もう一つ印象に残ったのは女性のリーダーたちの強さだ。代表の奥さんはじめ、宣教師夫妻が2組いたのだけど、夫の話の途中でどんどん入ってきて堂々と話を奪っていく様子が面白いと思った。日本のいわゆる強い奥さんともまた何か違う気がする。うまく説明はできないのだけど。
 みんな独立した召しがあるからだろうか。今回会った人たちが特別なのかもしれないが、当然のこととして自分たちの召しに生きてる感じがする。
 一方で男性が色々決めるアジア的なところもあるのが、何だか不思議。代表の先生の娘さんの学校もお兄さんが決めたという。そして、家を出るのは結婚した時だと言う。この辺は実にアジア的というか、そんな感じがする。
 あとでジェイに聞いてみると、「やはり女性がリーダーシップをとる苦労は多いと思う」と言っていた。
 同じアジアで共感することも多くて面白いし、一方で全然違うところもまた面白い。

 余談になるが、オリッサの夫妻の話を聞いたバングラデシュのエリソンいわく、特に夫人の話しているヒンディー語はほぼ通訳なしで言葉がわかったそうだ。普通のヒンディー語は早いしわからないが、彼女は訛りもあってバングラ(語)にすごく似ていたと。バングラ語もヒンディー語も、元々はサンスクリット語から来てるのでわかるときはわかるらしい。
 この辺は僕にはさっぱりわからない感覚だが、やはりまた面白いなと思った。

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