《旅する教会》南インド編②:聖トマス

社会・国際

旅する教会 ーアジアの教会を訪ねて:南インド編②

鈴木光(すずき・ひかり):1980年、横須賀生まれ東京育ち。アメリカの神学校を卒業後、2006年に日本キリスト教団勝田教会に伝道師として赴任。2010年より主任牧師。妻と娘1人。著書に『「バカな平和主義者」と独りよがりな正義の味方』(2016年、いのちのことば社)、『伝道のステップ1、2、3』(2018年、日本基督教団出版局)。趣味は読書(マンガ)とゲーム、映画、ネット。

 これはアジアの教会のリーダーたちが、互いの国の教会やリーダーを訪ね歩いて学んでいく共同体型の研修〝PALD(Pan Asia Leadership Development)〟の様子を記した旅エッセイである。僕と旅の仲間たちの道中を、どうぞお楽しみください。(毎週火・金曜日更新! この旅のはじまりについてはこちら

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聖トマス

聖トマス教会

 食事を終えて、早速出かけた先はカトリックの聖トマス教会。
 使徒トマスがこのチェンナイの地で殉教し、葬られたお墓の上に建てられているという教会だ。
 教会自体は1869年に建てられ、観光地というか、一種の巡礼地のようにもなっている。大きな聖堂があって、僕たちが到着した時も夜のミサ(祈祷会かもしれない)が行われていた。そちらはお邪魔にならないように少しのぞいただけで、敷地内の地下にある“Tomb Chapel”を見学しに行く。

 チャペルの入り口には案内書きがあって、それによると使徒トマスは(西暦)52年にこの地に来て伝道をはじめ、福音を宣べ伝えたことで迫害を受け、72年に殉教した(殺された)という。入り口脇には天を見上げるトマスが、後ろから槍を持った男に今にも刺されようとしている様子を模した像が展示されている。
 そして、何より目を引くのは、入り口にも、その像の所にも、そしてチャペルの正面にも、至るところに記されている“My Lord and my God”という言葉だ。トマスと言えばこの個所というくらい重要な、ヨハネによる福音書の20章28節にある言葉だ。

ちょうどお墓の上にあたる部分がチャペル正面になっている

 トマスは復活したイエス様が使徒たちの前に姿をあらわした時に、残念ながらそこに居合わせなかった。だから、復活をとても信じることができずに仲間たちの前で「自分が信じる条件」を挙げた。
 それは、自分の目の前に実際に復活したイエス様があらわれて、十字架にかかった時の手の釘跡や、死亡確認のために刺された脇腹の槍の傷跡を見て、さらにそこに自分で手指を入れて見なければ信じない、というのだ。そのトマスのもとにイエス様はあらわれて、あなたが望んだとおりに文字通りやりなさいと語りかけたのだ。
 この個人的な、そして疑いようのないイエス様からの直接の取り扱いを受けて、トマスは「わたしの主、わたしの神よ(My Lord, my God)」と信仰を告白した。

 僕は元々このトマスの出来事の聖書個所は非常に好きなところだったのだけど、正直「その後のトマス」を深く考えたことはなかった。
 だから、このチェンナイでトマスゆかりの地をいくつか訪ねながら、何度も彼の信仰告白のことば“My Lord, my God”を目にすることになったのは、少なからず衝撃的だったし、好きだった聖書の個所を今までより深く思い巡らす得難い機会になった。何を思ったかは、また後で触れたいと思う。

 さて、Tomb Chapelの上にはちょっとした資料館のような展示があり、この聖トマス教会の歴史の紹介や、何よりトマスを刺した槍頭とその装飾の中にトマスの骨が入っていて展示してある。もちろんこの手の「実際の○○」というやつは、何かしら言いたくなる部分はあるのだけれど、それはあえて口に出すことではないので、ただ素直に興味深く見学した。

トマスを刺したという槍頭、真ん中の空洞に入っているのが指の骨だそうな

アジアいちの砂浜とインド事情

 外に出るとすっかり日も落ちて、あたりは暗くなっていた。帰り道に、世界2位(アジア1位)の長さ6.5kmを誇る海辺、マリーナビーチに立ち寄る。
 立ち寄ると言っても、車をとめて砂浜を歩き始めてから実際の波打ち際まで1kmもあるので、最初何も言われずに駐車場について歩き始めた時は夜の闇で向こうが見えなくて、「ここは砂丘かな」と本気で思った。あまりに広くて、見上げると空が丸みを帯びてプラネタリウムみたいになっている。
 だが、決して空を見上げながら歩いてはいけない。なぜなら、この広い海岸に点々と座っているカップルにぶつかるからである。こういうとこは世界のどこに行っても変わらないのだなと思う。

マリーナビーチ、各カップルは密だが、カップル間の距離はすごく広い

 駐車場に戻ると、通りかかった女性たちを見て、ラジブ(インドからの研修参加者)が「あれは手相占い師の人だね」と言う。独特な格好をしているのだそうだ。
 ご存じのとおり、占いは聖書の中で厳しく禁じられている。先ほどの聖トマス教会もそうだが、街中を走ると教会をよく目にするので、クリスチャンも多い街なのかなと思ったが、そんなことはないそうだ。
 やはり手相占いの背景にもなっているヒンドゥー教徒の人が最も多くて、他にムスリムの人たちも一定数いる。クリスチャンはまだ少数派だという。
 とはいえ、今はプロテスタントのクリスチャンが増えてきていて、ラジブの個人的な感覚としてはカトリックよりも多くなってきているのでは、だそうだ。特にペンテコステ系の教会の成長は著しいらしい。
 以前は、「富と繁栄(Prosperity & Wealth)」の祝福を強調する伝道が流行した時期もあったが、経済発展と共にむしろそういうのは廃れてきて、今は純粋に聖書の福音を聞いてとか、癒しの体験を経てとかで信仰に導かれていく人が多いという。
 ちなみに、これはチェンナイの話で、このタミル・ナードゥ州を出ればまた州ごとに状況は全然違う。インドは州ごとに他の国にいくのと同じくらい文化も言葉も違うのだそうだ。

 こんなにも複雑な異教の地に、2000年前にトマスはどんな思いではるばるやって来たのだろうか。エルサレムから6000km以上の距離を移動して、言葉も文化も違う中で20年間どんな思いだったのだろうか。茫漠とした海岸を歩きながら、そんなことを考えた。

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