《旅する教会》バングラデシュ編③:この民に届け

社会・国際

旅する教会 ーアジアの教会を訪ねて:バングラデシュ編③

鈴木光(すずき・ひかり):1980年、横須賀生まれ東京育ち。アメリカの神学校を卒業後、2006年に日本キリスト教団勝田教会に伝道師として赴任。2010年より主任牧師。妻と娘1人。著書に『「バカな平和主義者」と独りよがりな正義の味方』(2016年、いのちのことば社)、『伝道のステップ1、2、3』(2018年、日本基督教団出版局)。趣味は読書(マンガ)とゲーム、映画、ネット。

 これはアジアの教会のリーダーたちが、互いの国の教会やリーダーを訪ね歩いて学んでいく共同体型の研修〝PALD(Pan Asia Leadership Development)〟の様子を記した旅エッセイである。僕と旅の仲間たちの道中を、どうぞお楽しみください。(毎週火・金曜日更新! この旅のはじまりについてはこちら

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この民に届け

ムスリムから回心、アサ牧師との出会い

 翌朝、目が覚めて部屋の窓から外を見まわすと、宿舎のある緑あふれる町の様子が見えた。朝食をとって出発すると、通学・通勤していく若い女性たちの姿が多い。聞いてみると、近隣に学校が多いことと、隣町に縫製工場があるということで、学生や工場で働いている人たちだろうとのこと。とにかく若者がたくさんいるのが目に入る。

 今日はまずダッカの街中を車でとおって、Dhaka Assembly of God教会を訪問させてもらうことになっている。バングラデシュで2番目に大きな教会だという。教会員が1400名くらいで、ミッションスクールを同じ敷地内にもっている。
 大きな校内や敷地内をおおよそ見学させてもらった後で、主任牧師のアサ先生から話を聞かせてもらうことができた。
 実はアサ牧師は最近(2018年当時)来日して講演をされたそうで、知っている人は知っているかもしれない。僕は初めてお会いしたが、「知っていたら日本に来た時に講演を聞きに行ってたのに!」と思うほどお話に感銘を受けた。

「伝道は一瞬のイベントではなくプロセスだ」

 アサ牧師はもともとイスラムの家で育った。10代のころにイエス様に出会って信仰をもったが、そういう背景だからこそ、この国で大多数をしめるイスラム信仰の人々にイエス・キリストの福音を伝えたいと願っているという。だから、力を入れているのはムスリム(イスラム信仰の人々)への伝道だ。

 しかしその伝道も「ただ情熱だけでやっています!」みたいなものではなく、よくよく考えられたやり方でイエス様を伝えていこうと備えられたものだ。つまり、ムスリムに信仰を伝えようとする時、相手の状況に合わせてきちんとステップを踏んでいくのだ。アサ先生の言いかたでは「伝道は一瞬で起こるイベントではなくてプロセスだ」ということである。

 余談になるが、この「伝道はプロセスである」ということは、伝道する者にとって非常に大きな励ましになることだと思う。日本の飯田克弥牧師(J-House)からも以前に同じことを教えてもらったことがある。飯田先生にはAsian Access Japanの若い伝道者向けの研修(U30牧師研修)で、そのものズバリ「伝道」の仕方を学ぶための講師をしてもらっている。その中で、飯田先生も「プロセス伝道」と名付けて、相手の信仰的な状況を段階的に見ていくことの大切さを教えてくれた。たとえば、信仰に否定的だった人が、否定しなくなっただけでもそれは一歩前進していると認めるべきなのだ。

 ちょうど僕自身も「うまくいっていない」と思っていた伝道の働きがあった時期にその考えを聞いたので、きちんと相手の状況を見れば確かに前進していた、と励まされたのを思い出す。

アサ牧師の伝道アプローチ

 さて、アサ牧師は伝道する相手の状況に合わせて、次のように段階を分けている。順に信仰が深まっていくと思ってみてほしい。

1.Sympathizer(共感者)、つまりキリスト教に好意的で聞く耳のある人。
2.Seeker(求道者)、より関心をもって聖書の言葉を聞き、霊的な求めのある人。
3.Believer(信仰者)、信じてクリスチャンになった人。
4.Confused Believer(迷う信仰者)、信じたけれど信仰が不安定になっている人。
5.Disciple(弟子)、クリスチャンとして成長し始めた人。

 特に面白いのは「Confused Believer(迷う信仰者)」という時期が多々あるということを語っていたことだ。イスラム信仰や文化の背景で育ってきた人々にとって、一度は確かにイエス様に心打たれて信じたのだけど、これまでの生活や周りにいる人々の影響の中でつまずき、離れそうになることが確かにあるのだという。

 この「Confused Believer」の時期は、日本でも信仰を持った人たちの多くに、同じように起きている。この点は妙に共感してしまったし、「あるある」を聞いた時に特有の仲間意識を感じて励ましを感じた。
 実は僕もここに来る前の夏(2018年6月)に1冊本を出していて(『伝道のステップ1、2、3』日本キリスト教団出版局)、それはやはり相手の状況に合わせて伝道を進めていくことを、なるべく具体的に提案しようとした本だった。もちろん、違いはあるのだけど、アサ牧師の話は僕の考えてきたことと多くつながる所があって、話しを聞きながら何度も激しくうなずいてしまった。

 アサ牧師も(というか彼の方がずっと前に)今回話してくれたような、先生自身の伝道の考えを本にまとめていて、タイトルは「Ministry and Church Planting in Restricted Context(制限のある環境でのミニストリーと教会開拓)」という。特に注目したいのは「Restricted Context」というところ。イスラム信仰という、明らかに違う信仰のもとにある人たちに、イエス・キリストを伝えることはまさに「Restricted Context」に挑むことだ。まさにそこに僕は共感した。
 僕自身が日本での伝道を考える時に、日本の人々の多くは「Restricted Context」にいると思う。おそらく統計をとれば「自分は仏教信仰です」と応える人が多いとは思うが、実際のところは冠婚葬祭の中でも「葬祭」の部分での所属意識が強いのであって、いわゆる海外一般の「信仰」というものとは少し違うと思う。

 とはいえ、イスラムのような明確な枠組みの信仰があるわけではなく、おもに儒教思想をベースとしたいわば「日本人教」みたいな価値観による枠組みを多く信奉している、と僕は考えている。その分析は主題ではないので置いておくが、とにかく、アサ牧師がムスリムに伝道しようとする時に挙げているステップが、私が日本で周りの人たちに伝道する時と本当によく似ているのだ。
 アサ牧師は確たる実績のある働きをしておられて、私は比べるべくもないので少し恐縮だが、その話を聞いて、そしてその実りを見て心から励まされた。

 今回の参加国の中では、バングラデシュと日本がクリスチャン人口の少なさでは同じくらいの状況に置かれている。世界の多数民族の中で、クリスチャン人口2%満たない「未伝部族」の、第一位がバングラデシュのベンガル語の民であり、第二位が日本人だと言われている。つまり、逆に言えば、クリスチャンがマジョリティの中の圧倒的なマイノリティということだ。
 だからこそ、その課題や挑戦には非常に強く共感するところが多かった。国の風景や文化はまるで違うのに、まるで同じように主の働きに向き合っている姿は僕の胸を強く打った。

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