旅する教会 ーアジアの教会を訪ねて:ミャンマー編⑨
鈴木光(すずき・ひかり):1980年、横須賀生まれ東京育ち。アメリカの神学校を卒業後、2006年に日本キリスト教団勝田教会に伝道師として赴任。2010年より主任牧師。妻と娘1人。著書に『「バカな平和主義者」と独りよがりな正義の味方』(2016年、いのちのことば社)、『伝道のステップ1、2、3』(2018年、日本基督教団出版局)。趣味は読書(マンガ)とゲーム、映画、ネット。
これはアジアの教会のリーダーたちが、互いの国の教会やリーダーを訪ね歩いて学んでいく共同体型の研修〝PALD(Pan Asia Leadership Development)〟の様子を記した旅エッセイである。僕と旅の仲間たちの道中を、どうぞお楽しみください。(毎週火・金曜日更新! この旅のはじまりについてはこちら)
パガン遺跡
バガン遺跡群は近年かなり観光地として整備されてきていると聞いた。実際、遺跡群に行ってみると、地域の中央に大きな塔が建っている。元々あったものではなくて、ごく最近造られたものだ。全体の景観を損ねるということで賛否両論の存在らしいが、観光客としては遺跡群全体を広く見渡せて良いと思った。
エレベーターで展望階まで上がると、眼下に広がる赤土と緑の中に、点々と、しかし全体としてはすごい数の遺跡や遺構が見える。仏塔(パガン)や寺院が目に付くが、僧院、図書館、オーディエンスセンターのようなものなどを合わせた複合遺跡群が5つあって、それが全体に広がっているのだ。
この地域はかつて19の村があってそれぞれ王様がいたけど、11世紀半ばに統一王朝ができた。その最初の王様が仏教を強く信奉していて、ここに仏教信仰施設を集中して集めたのだという。
今でこそこの遺跡群には基本的に住むことは許されていないので、働いている人たちも市街に住んでいて通うらしく、人気(ひとけ)はないが、見渡していると、当時の様子が(妄想的に)思い描かれ、人々の息遣いまで聞こえてくるように感じた。
僕は昔から歴史大好きで、大学の学部時代は考古学を専攻していた。おそらくそういう人には多いと思うが、遺跡や遺構から色んな想像が広がっていくのが一つの楽しみだと思う。
パガン遺跡群の美しく感動的な景観
パガンを後にする
塔を降りて、外に出ようとすると、玄関付近にタナカ(田中ではない。顔に塗る茶色いパウダー)を擦る石とタナカの木そのものがあった。木の皮の部分、つまり中ではなく外側だけを、水を加えながら石で擦るのだ。それでできたものを顔に塗ると、美容効果と虫よけと、他にも色々良い効能があるらしい。観光用なので、ここに置かれた木も擦り石も特大のやつなのだが、これの小さいやつが一般家庭にはどこでもあるらしい。
タナカの木の皮を石にゴリゴリする
実際、この国に来てから、至るところで顔にこれを塗っている人を見かける。ちなみに妻からのお土産リストには、この「タナカ関連の何か」が入っていたので、タナカ配合石けんを買って帰った。僕も使ったが、ナチュラルな木の良い香りで僕はけっこう好きだった。
播先生はわざとらしいが実際普通に皆こんな感じでタナカを顔に塗っている
そんなに時間があったわけではないので、ゆっくりというわけにはいかないが、いくつかの寺院遺跡も見学した。一番有名なアーナンダ寺院というのも見ることができた。建物の四方にそれぞれ大きな金の仏像が立っている。一方で、そこに至る入り口の壁画にはブラフマーが描かれている。元仏僧だったソピがカンボジアでもそうだったというが、ここでも武人たちの影響で神仏習合があったらしい。
最後にラッカ(という名の工芸品)工場に立ち寄る。竹、木、馬の毛に高山でとれる木からできる色をつけて作るもので、11世紀からある工芸品。作業過程なんかも見学させてもらった。
さて、帰り道、温泉バスは43万kmをカウントしていた。日本から累計だと思うけど、頑張ってるな、と車に感情移入する。
車と言えば、日本車のアジア諸国における扱いが話題がのぼったことがある。このバスは名前を消してある(近づくとしっかり見える)が、スリランカではあえて日本語は消さないそうだ。むしろそれは日本から来た中古車として品質保証みたいな感じがあるらしい。さらに、播義也先生いわく南米ペルーで聞いた話では、向こうではそれが高じてわざわざ変な日本語を車体に書いたりもするらしい。意味不明な日本語が街中を走っているのはなかなか混沌としていて楽しそうだ。
ハンドレー夫妻
さて、この旅で一つ感銘を受けたのは、アジアン・アクセス・インターナショナル総裁のハンドレー夫妻の姿だ。最初にも書いた通り、今回の旅はスケジュール的にも移動距離や手段にしても一番過酷なものだった。もちろん、この旅に向けて準備期間があれば別だが、通常どおりの働きをして、日曜礼拝を終えて直接向かう状況ではハードと言っていいと思う。特に(比較的)年長のハンドレー夫妻、とりわけ小柄な夫人にとっては大変だったのではないかと推測する。しかし、まったく皮肉や不平の言葉を聞くことはなかったし、むしろ終始笑顔でみんなを笑わせたり和ませたりしていた。国際団体の総裁と言えば、ふんぞり返っていてもよさそうなものだが、全日程ほがらかに同行する様子に心打たれた。
総裁自身が実際に各地で宣教活動をしていたそうなので、当然のこととしてそれを受けとめているのかもしれない。これは僕の恥ずかしい話なのだが、正直言うと以前は総裁のことを少し見くびっているところがあった。ジョー(総裁)はファンドレイズ(資金調達)に長けているイメージがあって、それを僕は宣教と金は別のもののような変な見方で「お金のことばかりやっている人」とどこか日本的な宗教の徳意識で見ていたのだと思う。でも、よく考えてみればその働きがあって宣教は進んでいるのだ。そして、彼の(日本的に言えば)高いコミュ力を賜物として惜しむことなく発揮し、おそらく僕が持っていたような偏見をものともせずにやるべき働きをしている姿は文字通り尊敬すべきと思った。
そんなことを考えていてふと気づくと、そもそも高澤健先生夫妻も副総裁なのだけど、このすべての旅に、同行はもちろん調整して行っているわけで、本当に頭が下がる思いがした。何事も、そして誰が相手でも、ある程度時間を共に過ごす中で人はわかっていくことがある。それは、自分の傲慢を打ち砕くためにも必要な時間で、この旅でまた一つ得たことでもあったと思う。
パガンの位置関係についてはミャンマー編①の地図をご覧ください。