《旅する教会》ミャンマー編③:幻は現実になる

社会・国際

旅する教会 ーアジアの教会を訪ねて:ミャンマー編③

鈴木光(すずき・ひかり):1980年、横須賀生まれ東京育ち。アメリカの神学校を卒業後、2006年に日本キリスト教団勝田教会に伝道師として赴任。2010年より主任牧師。妻と娘1人。著書に『「バカな平和主義者」と独りよがりな正義の味方』(2016年、いのちのことば社)、『伝道のステップ1、2、3』(2018年、日本基督教団出版局)。趣味は読書(マンガ)とゲーム、映画、ネット。

 これはアジアの教会のリーダーたちが、互いの国の教会やリーダーを訪ね歩いて学んでいく共同体型の研修〝PALD(Pan Asia Leadership Development)〟の様子を記した旅エッセイである。僕と旅の仲間たちの道中を、どうぞお楽しみください。(毎週火・金曜日更新! この旅のはじまりについてはこちら

幻は現実になる

 早朝にマンダレー管区を経由し、そこからさらに 2時間弱東に進んだメイミョに到着。今日はここで活動する。
 午前中は少しミーティングをし、午後にピンウーリン・インマヌエル教会を訪ねた。インマヌエルとついているが、教派としてはお馴染みのAssembly of Godだった。これは何か狙っているわけではなくて、少なくとも今回の旅で訪れた各国でアッセンブリーは大きな働きを見せていることのあらわれだと言って間違いない。
 この教会のある街は将校たちを輩出する防衛大学があるので有名なのだが、まわりの風景はかなりのどかな感じだ。その中に何百人も入れる大きな白壁の礼拝堂が建っている。隣に教育館のような建物があり、そちらでこの教会の開拓を始めたカイ・ケン牧師夫妻から話を聞くことができた。

カイ先生ご夫妻と

 カイ先生は1976年にクリスチャンになり、献身の導きを受けて神学校に入った。そこで学ぶ中で「バイブルスクール(神学校・聖書学校)を建てなさい」という召命を受け、お金もなければ頼れるコネもなく、何より学のない自分が学校を建てるということに恐れを感じたが、神様の召しと信じて祈り始めたという。
 どこでその働きを始めるべきかと祈りつつ、色んなところを見て回っていく中で、このメイミョに来た時に「ここだ!」という確信を感じたそうだ。実際にはムスリムと仏教の人々がほとんどの地域で、教団からも特に応援してもらえなかったが、確信があったため信じて進めていく中で、やっと小さな土地を貸してもらうことができた。これはこの後の旅でも分かったことだが、ミャンマーではキリスト教に馴染みのない地域や場所によってはそもそも移り住んだりすること自体が一苦労なのだ。
 1989年、最初はその借家で2人の子どもと夫妻だけで教会を始め、伝道して少しずつ人も増えていった。今は先ほど見学した礼拝堂を含め会堂も建てられた。
さて、神様からの召しのとおり聖書学校も始め、今現在は卒業した19人の伝道者がいて、別の土地でも開拓伝道を進めているという。

 質問に応えて具体的な教会開拓の手法も教えてくれた。最初は小さな場所を借りて、家の教会を始め、そこに独身の伝道者を1人遣わすという。そして、地道に伝道をするのだ。
 なぜ伝道者1人でなのかというと、経済的に支えられるからということ。母教会が費用をもって、教会が順調に成長していく中で結婚することが多いそうだ。
 経済的にも自立した教会になるのには最低10年以上はかかるが、その間は経済的なサポートはもちろん、頻繁に訪ねて励ましたり、交わりをもつようにしている。

ミャンマー社会での伝道

 ミャンマーは仏教徒が多いのはよく知られているが、どのように伝道しているかも具体的に教えてくれた。
 第1に人間関係を築き、第2に何かその人の助けになれるようなことはないかと聞いて応え、そして何より断食してその人の救いのために祈り、その後も救われるようにあきらめず祈り続けることだという。
 面白いと思ったのは、ミャンマーの仏教も(概して)ブッタを信仰しているというよりはアミニズム的な精霊信仰みたいな雰囲気があるという。聞いていて、おそらく感覚は日本の神棚と仏壇が同居しているけど、聞かれたら「うちは仏教」と応える人の感覚と近いのではないかと思う。
 そういう背景もあって、日本と同じくやはりConfused Believerの時期を経験する人も少なからずいるが、丁寧にフォローアップすれば多くの人は守られていくとのこと。
 この聖書学校でも仏教徒家庭の中で自分だけクリスチャンになり、家族から迫害されて出されてしまったけど学校で面倒を見て、現在は牧師として立っている人もいるそうだ。

 ミャンマー全体としての教会の成長に関して質問すると、PALDのミャンマー参加組・ウェスレーやサヤパも加わって、ここ30年くらいの大きな変化について話してくれた。以前は旧来のイギリス統治下からある主流派教会では、牧師はオフィスワークが多く、教会員とも距離が遠かったけれど、民主化運動や経済開放などの社会の変化もあり、国がオープンになっていくのに合わせ、外から福音的なクリスチャンが入ってくるようになって変わっていったという。
 大きな変化としては、一つはクリスチャンが教会から外に向かうようになって「社会的な」ことにも関わるようになったこと。その中で福音に耳を傾ける人が増えて伝道が進むようになってきた。
 またもう一つは、聖霊の働きが顕著になってきて、牧師が尻込みして祈らなくても、信徒が祈って癒しが起きるようになり、どんどん変わっていったという。
 ウェスレーいわく「昔は牧師だと言うと女性は敬遠して結婚してくれなかったけれど、最近はむしろ人気の職業になっていて、すごく変化してきた」とのこと。

日本の可能性

 私たち各国の(比較的)若いリーダーたちの働きのために、何かアドバイスをと最後に求められカイ先生は次の2つのことを話してくれた。
 1つは「ひざまずき、祈れ」ということ。
 もう1つは「特に子どもたちのために祈りなさい。彼らが次の世代なのだから」ということ。
 
 実は、僕はここでお話を聞きながら一つの霊的ブレイクスルーを感じていた。旅の始まりで書いたように、僕は日本のクリスチャン人口が5%になるという幻を受けていて、なぜかそれはそうなるんだろうなと不思議な確信があるのだけど、一方で日本の宣教の現状とかけ離れており、はるか先に見えている姿と現状の間に道が見えなかった。ところが、この場所でミャンマーの変化の話を聞いているうちに、あるいはこれまでの旅で見聞きしたことも影響していると思うのだけど、ふいに道がつながったのだ。
 それは、何か特別なことではなくて、教会が「社会派」か「福音派」というのではなくて、福音をたずさえて社会で生きると言う本当に当たり前のことをしていくならば、自然とそうなるということだった。
 加えて、祈ること、聖霊の働きを喜んで求め迎えることだと思う。
 それはある意味ではごく普通に聖書の語るとおりのことを信じることで、またそれに応答することだと思う。

 ちなみに、このピンウーリン・インマヌエル教会の礼拝堂の正面にはこの御言葉が掲げられていた。
 “Not by might, nor by power, but by my spirit”Zch.4:6
 (武力によらず、権力によらず、ただわが霊によって)

 遅々として福音の広がらない日本での状況を見て「どうしたらいいんだ?」とずっと思ってきたけれど、やるべきことをやればいいのだと本当に目からウロコが落ちたようだった。きっとメイミョのあの部屋に僕が落としたウロコがあると思う。このために僕はPALDの旅に参加させられたのだとわかった気がした。

 マンダレーの位置関係についてはミャンマー編①の地図をご覧ください。

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