《旅する教会》ミャンマー編①:福音と社会に壁はない

社会・国際

旅する教会 ーアジアの教会を訪ねて:ミャンマー編①

鈴木光(すずき・ひかり):1980年、横須賀生まれ東京育ち。アメリカの神学校を卒業後、2006年に日本キリスト教団勝田教会に伝道師として赴任。2010年より主任牧師。妻と娘1人。著書に『「バカな平和主義者」と独りよがりな正義の味方』(2016年、いのちのことば社)、『伝道のステップ1、2、3』(2018年、日本基督教団出版局)。趣味は読書(マンガ)とゲーム、映画、ネット。

 これはアジアの教会のリーダーたちが、互いの国の教会やリーダーを訪ね歩いて学んでいく共同体型の研修〝PALD(Pan Asia Leadership Development)〟の様子を記した旅エッセイである。僕と旅の仲間たちの道中を、どうぞお楽しみください。(毎週火・金曜日更新! この旅のはじまりについてはこちら

ミャンマー旅の位置関係

スポンサーリンク

福音と社会に壁はない

ヤンゴン国際空港

ニュント先生の影響力

 2019年7月初旬、曇り空のヤンゴンに到着。この時期は急に土砂降りの雨が降ったり、すぐに晴れたり、忙しい時季らしい。例のごとく日本組(僕と播義也先生)は最後の到着で、ホテルで他のメンバーと合流すると、すぐにまた出発することになった。夕食の席で3人の重要なクリスチャンリーダーの方々からお話をうかがえるとのこと。
 レストランで少し待つと、落ち着いた感じの白髪のご夫妻と、もう一人大柄な、やはり年かさの(老齢の)男性が来られた。

 一人目の白髪の男性はアウン・テト・ニュント先生。Campus Crusade for Christ(いわゆるCCCと呼ばれて有名な学生伝道団体)の元national directorをされていた方だという。
 CCCの働きはもちろんのこと、ニュント先生は人づてで政治家や軍の上層部の人たちにも聖書の話をするよう頼まれたことがきっかけで、国のリーダーの人たちに関わる機会が増えたそうだ。といっても、政治的な関わり方というよりも、一人のクリスチャン代表として関係性ができたそうで、誰もが知るアウンサン・スー・チーさんには(本人はクリスチャンではないが)大切な決断の時に「お祈りください」と言われるのだそうだ。

 そもそもその聖書の話をすることになったのは、政府肝いりの国内平和運動のセンターを作る時だったという。ミャンマーには(現在まさに課題になっている)国内の宗教間(そしておそらく部族民族間)の根深い対立問題が長らくあって、その和解運動のためのNational Reconciliation and Peace Centre(国立和解と平和センター)が立ち上げられることになった。その立ち上げに先立って「キリスト教の話を」と呼ばれて聖書のことを偉い人たちの前で話すことになったそうだ。

 このセンター、もともとはPeace(平和)が先につく「National Peace and Reconciliation Centre」という名前だったのが、ニュント先生が聖書のメッセージを話して、「まず和解があって、そして平和があるのだ」ということを語ったことがきっかけで、センターの名前も「Reconciliation(和解)and Peace(平和)」となったという。確かに、神様との和解があってはじめて、本当の人との平和が生まれるというのは聖書の教えるとおりだ。

 そんなニュント先生だが、本人は穏やかで偉そうな雰囲気はまったくない。実際、その時に呼ばれて政府の偉い人たちの前に立つのは思ってもみない出来事だったという。でも、政治的なことについて説教(メッセージ)するのは難しいけれど、それは聖書にある通り聖霊が語ってくださることなので信仰をもってやっていると話す。先生の言い方を借りれば、「政治的な場でメッセージをするのはいつもペンテコスタルだ」ということ。

 本来の迫害下でという聖書の文脈とは少し違うけれど、「わたしのために総督や王の前に立たされて、証しをすることになる。…引き渡され、連れて行かれるとき、何を言おうかと取り越し苦労をしてはならない。そのときには、教えられることを話せばよい。実は、話すのはあなたがたではなく、聖霊なのだ(マルコ13:9、11)」という御言葉を思い出した。

社会の中の信仰

 もう一つ興味深かったのは、ニュント先生が話し終えて、誰かが「リーダーとしての働きのために何かアドバイスを」と聞いた時のこと。先生いわく「そもそも聖書にリーダーという言葉はほとんど出てこない。出てくるのはサーバント(しもべ、仕えるもの)なのだから、究極のしもべのイエス様に倣うことだと思う」とのこと。本当にそうだな、とうなずいた。

 続いて短く話してくれたのは、ニュント先生の妻であるキン・ニン・ワイ夫人だった。彼女はCCCの中での祈りのミニストリーから始めて、特に国内の祈りの運動を広くリードしている方だった。彼女の祈りのミニストリーは国内全体に広がっていて、いろんな教派から参加者がいるという。

 2人の働きに共通するのは、まさにreconciliation(和解)で、対立するもの、一緒にできなかったものが信仰によって和解していくということに関わっていることだった。話を聞きながら感じたのは、福音を伝える宣教的なことと社会的な課題に信仰をもって取り組むことは、それぞれ分けて考えることではなく、つながっていることなのだな、ということ。このことは後ほどまた詳しく書くが、実はこのミャンマーの旅全体を通しても僕にとって最大の神様からのメッセージだったと思う。

 少し話はずれるが、スリランカからスタッフとして参加してくれている、ティリニのお父さんもスリランカでは社会的な活動で国からも非常に頼られている牧師だ。文字どおり聖書の教えによって、この世界全体に向き合っていくことの意義は、僕も以前からもちろん重要に考えてきた。けれどそれはどこか草の根レベルでという所にいつも視点が限られていたように思う。ニュント先生やティリニのお父さんなど、より大きな規模での社会的なリーダーたちとも(あるいはそこにこそ)、聖書の価値観によって向き合っていくことが大切だと考えさせられた。

生ける神

 さて、最後に話を聞かせてくれた大柄なご老人はロニ牧師と呼ばれていた。ヤンゴンのベツレヘム教会の主任牧師で、年齢的にも88歳で「(第二次大戦中)日本軍に追われて山に逃げたのを覚えているよ」と話題にあがるほどだが、そうは見えないほど堂々として元気な方だった。

 ロニ牧師は特にリーダーシップについて話してくれた。
 まず創世記の人間が造られたところから話を始めて、私たちは「神の性質に造られているのだから、大切なのは神様との親密な関係である」ということだった。リーダーは人の教育によって育つのではなく、神様との関係性によって育つのだと。
 そして、やはり「良いサーバント(しもべ、仕える人)になりなさい」ということ。人に対して魅力的になるのではなくて、イエス様の似姿に変えられていくことを求めるのだと。これは、ニュント先生とご夫人の話と共通していて印象深かった。
 最後に、「与えられている賜物を忠実に用いること」を話された。

 その後、食卓を囲みながら、地域の牧師としてどんな伝道をしてきたかということも分かち合ってくれた。
 今、ミャンマーのクリスチャン人口は、公式には全体の6%くらいと言われているのが、実際はおそらく10%を超えていると見られる。政府からはクリスチャンは「従順を徳としていて基本的に従ってくれるので好意的な見られ方をしている」そうだ。
 とはいえ、やはり仏教の方が多い中で、どのように伝道をしていますかと聞くと、「信じないと地獄行きだ」みたいなアプローチではなくて、「あなたは生ける神様を知っていますか?」という問いかけから始めるという。そして、生きておられる神様を経験していく中で自然と信じる者になっていくとのこと。

 面白かったのは、3人とも雰囲気はそんなに「聖霊派!」みたいな感じではないし、教派的にもそうではないのに、語るメッセージはとても霊的な部分に踏み込んだことだったことだ。後ほどまた触れるけれども、いわば「本当に生きている神様をごく自然にリアルに経験している」ということが一つの注目点だと思った。

左からニュント先生夫妻、ロニ牧師、アジアン・アクセス・インターナショナル総裁のハンドレー氏夫妻

ミャンマー編②「温泉バス、高速を走る」へ >