《旅する教会》カンボジア編⑩:メン先生の話とカンボジアの旅を終えて

社会・国際

旅する教会 ーアジアの教会を訪ねて:カンボジア編⑩

鈴木光(すずき・ひかり):1980年、横須賀生まれ東京育ち。アメリカの神学校を卒業後、2006年に日本キリスト教団勝田教会に伝道師として赴任。2010年より主任牧師。妻と娘1人。著書に『「バカな平和主義者」と独りよがりな正義の味方』(2016年、いのちのことば社)、『伝道のステップ1、2、3』(2018年、日本基督教団出版局)。趣味は読書(マンガ)とゲーム、映画、ネット。

 これはアジアの教会のリーダーたちが、互いの国の教会やリーダーを訪ね歩いて学んでいく共同体型の研修〝PALD(Pan Asia Leadership Development)〟の様子を記した旅エッセイである。僕と旅の仲間たちの道中を、どうぞお楽しみください。(毎週火・金曜日更新! この旅のはじまりについてはこちら

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メン先生の話

 夜のフライト前に、残っていた人々でナショナルディレクターのメン先生の家へ行く。夕食に招かれていたのだ。

 メン先生もなかなかハードな歩みをしてこられた方だ。
 中華系の出身で、事業家の家で育ったのだが、幼い頃に一家全員がクメールルージュに捕まった。ところが、間もなく処刑という時に、ちょうど手続きをしていた役人がお母さんの元部下だった人で、そのお父さんからも親切にされていたのを覚えていて、こっそり逃げるように声をかけてくれたのだった。こうして奇跡的に生き延びたのである。

 やがてポルポト時代が終わり、お兄さんが学校教師をしていた時に、教え子が悪霊につかれて困っていたところ、牧師の祈りによって癒やされたことを機に信仰を持ち、それが家族みんなに広がったという。
 その後、献身の決意を与えられて聖書学校に入るが、色々あって退学になってしまう。しかし、以前お世話になっていたフィリピンの宣教師にひょんなところで再会し、開拓のコーチを受けてそのまま始めた教会が、現在に至る大きな働きになっているそうだ。

 この自宅でも、ミニストリーを兼ねて、クメール語のトレーニングセンターもしているそうだ。初日に食事で立ち寄ったカフェも経営しているし、もともと事業をしていた家系でもあるし、まさに賜物を十分に生かして働きをしている様子がわかる。

メン先生の家でくつろぐ

アジアンアクセス・カンボジアの働き

 アジアンアクセスのカンボジアでの働きについても話してくれた。
 2000年代の初め頃、既に超教派での牧師たちの「交わり」はあったけれど、牧師たち自身の「トレーニング」をどのようにすればよいのかと、ちょうど悩んでいた時期だったという。1回きりの研修のようなものはしょっちゅうあるが、正直それでは何も残らなくて、現実に使える伝道の訓練や、牧師たち自身の霊性を建て上げるのに本当に役立つものを求めていた。そこに、先にアジアンアクセスの研修を始めていたスリランカのエイドリアン牧師(ティリニのお父さん)から勧められ、渡りに船と思ってカンボジアでも開催したのだそうだ。

 一つ面白いのは、カンボジア独自の動きが出てきたことだ。
 通常はアジアンアクセスの研修では主任牧師が対象なのだけど、卒業生や関係する牧師たちの中で「次のリーダーたちを育てる」ということが共通の新しい課題にとして出てきたそうだ。たとえば、働きを任せたり、新たな開拓に遣わそうと期待を込めて神学校に送っても、どこか別のところに行ってしまったり、期待していた働きにつながらなかったりすることが続いてしまう。それで、「それならもう自分たちで直接育てよう」ということになり、それで近年始めたのが「School of Disciple」という働きだそうだ。つまり、アジアンアクセスの学びを終えた主任の先生たちが、完全ボランティアで、自分たちでユースパスターやリーダーたちを育てる研修を行っているのだ。

元泥棒の牧師の証し

 この働きはとても実を結んでいるという。その例の一つとして話してくれたのは、なかなかインパクトのある一人の牧師の話だった。
 その人は元々泥棒で、家に忍び込んでは物を盗んで売り、それでドラックを買う生活をしていた。ところが、ある日、メン先生宅と同じ区画のとある家に忍びこみ、家人に音を聞きつけられてあわや見つかりそうになった。もし見つかれば、警官に先に捕まればラッキーで、でなければ文化的に近所の人たちに死ぬまで石で殴られるそうで、死を覚悟したという。
 家人がその部屋に入ってきて、彼はドアの陰に隠れていたのだが、電気がついて「もう見つかる」というところで、昔、教会に行ったことのあった記憶がよみがえり、「イエス様もしこの一度だけ助けてくれたら残る人生全部捧げます」と祈ったのだ。
 家人は彼が潜んでいたドアを動かし、彼は思わず声を上げてしまったが、なんと相手は気づかずに別の部屋を探しにいってしまい、その隙に逃げ切ったのだそうだ。その後、約束通り彼は悔い改めてクリスチャンになり、今では「School of Disciple」を終えて、田舎で教会増殖の働きを始め既に11の教会を生み出しているのだそうだ。

牧師研修の輸出と逆輸入

 実はこのアジアンアクセスの牧師研修は、もともと日本で教会成長研修として始まったもので、それが各地で応用されて用いられてきた。多くの国で教会増殖運動の力になっている。
一方で、「応用されて」というとおり日本のものをプロトタイプに、より神様との愛の関係性を深めることや、リーダーたち同士の交わりに重点を置くように改良されてきていて、今はむしろ日本の方が変化したところを学びつつ逆輸入のように新しい形を模索しているところでもある。

 この原稿を書いている2020年時点では、(コロナの影響でオンラインになっているが)このPALDの経験も踏まえた新しい指導者研修が始まっているし、僕も新たに若い世代の研修を担当して始めている。もともと、自分が以前にアジアンアクセスの研修で学んだ内容が非常によかったので、多くの人が自分と同じ若い時期にこのようなトレーニングを受けられる機会を増やしたいと願っていた。それで始めたわけだけれど、同じようにカンボジアで「次世代を育てる働き」に力を尽くしている姿は本当に励まされるのだった。

 さて、そんな励ましを胸にメン先生宅を後にし、日本に帰国する時間がきた。
 ついに2年間にわたって5か国を旅する研修も終わりを迎えたのだった。

旅の終わり(空港まで送ってくれたダレと)

カンボジアの旅を終えて

 今回の5か国の中では距離的には一番近いのがカンボジアだったのだけど、来てみて初めて「ほとんど何も知らなかったな」と思い知った旅だった。
 特にポルポト政権の苦難の時代は歴史として何となく聞いてたが、実際の惨劇の土地を訪れることで現実味を帯び、圧倒されるような恐ろしさを感じさせられた貴重な体験だった。同時にここまで一緒に旅をしてきたソピやダレの背景にあるものを知ることができたこともよかったと思う。

 最も印象に残った出来事はカンボジアの先生がたとの食事会で、その時代の生き証人であるヨンサム先生が証しされたときだった。記事の中でも書いたが、まったく言葉は分からないのに何か大切なことが伝わってくるような、ペンテコステの時とは少し違うのだろうけれど、やはり聖霊の動いているようなそんな感覚を覚えた。
 過去はなくならないし、決して見ないことにするわけではないのだけれど、でも未来のために今いるここから前に進んでいくこと。いつも、今いるここが新しいスタート地点なのだな、と日本でのこれからの宣教の働きも思いつつ心に響くものがあった。

 バングラデシュ編を皮切りに始まった「旅する教会」の連載は本稿で最終回です。数か月間のご愛読、ありがとうございました!