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《旅する教会》カンボジア編⑧:未来のために


旅する教会 ーアジアの教会を訪ねて:カンボジア編⑧

鈴木光(すずき・ひかり):1980年、横須賀生まれ東京育ち。アメリカの神学校を卒業後、2006年に日本キリスト教団勝田教会に伝道師として赴任。2010年より主任牧師。妻と娘1人。著書に『「バカな平和主義者」と独りよがりな正義の味方』(2016年、いのちのことば社)、『伝道のステップ1、2、3』(2018年、日本基督教団出版局)。趣味は読書(マンガ)とゲーム、映画、ネット。

 これはアジアの教会のリーダーたちが、互いの国の教会やリーダーを訪ね歩いて学んでいく共同体型の研修〝PALD(Pan Asia Leadership Development)〟の様子を記した旅エッセイである。僕と旅の仲間たちの道中を、どうぞお楽しみください。(毎週火・金曜日更新! この旅のはじまりについてはこちら

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未来のために

 会食ができる大きな部屋がいくつか入っているレストランにやってきた。
 夕食はアジアンアクセスに関わるカンボジアの牧師の皆さんと共にすることになっている。思いのほか多くの先生たちと3つくらいの円卓に別れて歓談しながら食事をした。

 食後にヨンサム先生と同様、「生き残った」一人であるラグーン牧師のお話を、アジアンアクセス・カンボジアのナショナルディレクターであるメン先生の通訳で聞いた。
 ラグーン先生は1972年にクリスチャンになってすぐ献身を決め、聖書学校に入学したそうだ。ところが、まさにその卒業の時期、ポルポト派がやって来た。先生は背中に聖書を2冊隠してとにかくプノンペンから故郷に向かって逃げた。道の途中にいくつも関所が設けられていて、時計や上着がその都度奪われていったという。
 聖書を見られたら終わりだと心配していたけれど、幸い守られて無事に故郷にたどり着き、両親と再会できた。しかし、聖書を見せると「クメールルージュ(ポルポト派の政治勢力)に見つかったら一家皆殺しになる」と言われ、泣く泣くビニール袋に入れて近所の池の中に隠したのだった。

神の守り

 ところがその夜に「なぜ隠すのか」と神様に言われ、池から引き上げて大きな1冊は屋根裏に隠し、小さな1冊のほうを隠れて毎日読んでいたという。
 そんなある日、本当に突然にポルポト兵が家に来て、屋内をチェックすることになってしまった。外に出されたラグーン先生は青ざめて、とにかく祈りながら待ったという。
 すると案の定、兵士が枕の下に隠しておいた聖書を見つけて、外で待つラグーン先生のもとに持って来た。
 ところが、兵士は「これは何だ? 何も書いてないじゃないか」と言う。なんと彼には文字が見えなかったのだ(読めなかったではなく、見えなかった)。それで、「なんでこんなものを持っているのか」と言われるので、タバコを巻くためだというと、没収はされたものの捕まえられることはなく兵士は帰って行った。
 いつ、気づいた兵士が改めて自分を捕まえに来るのかと気が気ではなかったが、なぜか村の他の人は連れて行かれることがあっても、自分は無事だった。
 神様は兵士の目を見えなくして、私を守ってくれたのだとラグーン先生は言う。

 やがて、1979年にプノンペンに戻ると、そこはもう誰もいない街になっていた。仕方なく彼は12年間にわたって政府の仕事をすることになる。しかし、残念ながら政府は聖書を教えることは許可してくれなかった。ちなみに、この時期に聖書学校で同級だったヨンサム先生と再会したそうだ。
 1990年に宣教の自由が与えられて伝道を再開。1992年にプノンペン聖書学校が始まり、そこでメン先生と出会う。
 2010年、弟子訓練のトレーニングをアジアンアクセスの卒業生たちで開始し、たくさんのことをアジアンアクセスから教えられ、今は各地で研修を行っているそうだ。

カンボジアの先生がたとの会食

分断と現実

 証しの後にいくつか質疑応答があり、それにカンボジアの先生たちが思い思いに答えてくれた。
 中でも忘れられない印象に残ったやり取りは、初日にソピにも問いかけられていたジェイの「ポルポト時代に国が二分されて互いに攻撃し合い、殺し合って、その分断の中で生まれた憎しみに教会はどう応えているのですか」という質問と、カンボジアの先生がたの答えだった。

 先生たちの共通していた認識は、多くの人が死に、社会も完全に壊れて荒廃してしまった後で、その中をどう生きていくかに必死で、復讐ということは考える余裕もなかったということだった。そして、今もまだ多くの人たちは、過去の痛みを思い返すよりも、今をどう生き残れるかで必死なのだと。(この街のネオンの意味とは…と思ってしまった)
 どの先生の言葉にも、内に秘められた葛藤のようなものを感じた。普段、お互いにあまり触れないことなのかもしれない。カンボジアの年配の先生同士が、何かお互いに重要な打ち明け話をしていて、それをかたわらで聞いているような不思議な空気の時間になっていった。

不思議な一致

 そして最後に、おもむろにヨンサム先生が立ち上がってこう話してくれた。
 「神様は現在だけはなくて、過去も未来もご支配なさる。確かに私たちには過去に大きな傷がある。しかし、私たちは過去にばかりフォーカスしないようにしている。今、私たちには次の世代をどう育て、励ましていくのかが最も大切なのだと思う」
 ヨンサム先生が話し終わると、皆から自然と「アーメン!」という同意の声と拍手があがった。
 この時、本当に不思議な感動があった。ヨンサム先生はもちろん全部カンボジアの言葉で話していて、拍手が鳴りやんでメン先生が訳し始めるまで、内容は僕たちには分からなかったのだけど、本当に大切な言葉が話されているということは我々旅の仲間たちにも分かったのだ。
 ちょうど、この夕食にはソピの子どもたちも一緒に来ていた。まだ幼い2人の娘さんたちだったけど、そして記憶に残ったかどうかは分からなかったけれど、彼女たちが聞いていたことには大切な意味があると感じられた。
 未来に向かって進んでいくという皆の一致した思いがそこにはあったと思う。聖霊がその部屋の中を確かに支配していたような、そんな気がしたのだった。

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