《旅する教会》カンボジア編②:再びフライト

宣教・神学・教育

 

旅する教会 ーアジアの教会を訪ねて:カンボジア編②

鈴木光(すずき・ひかり):1980年、横須賀生まれ東京育ち。アメリカの神学校を卒業後、2006年に日本キリスト教団勝田教会に伝道師として赴任。2010年より主任牧師。妻と娘1人。著書に『「バカな平和主義者」と独りよがりな正義の味方』(2016年、いのちのことば社)、『伝道のステップ1、2、3』(2018年、日本基督教団出版局)。趣味は読書(マンガ)とゲーム、映画、ネット。

 これはアジアの教会のリーダーたちが、互いの国の教会やリーダーを訪ね歩いて学んでいく共同体型の研修〝PALD(Pan Asia Leadership Development)〟の様子を記した旅エッセイである。僕と旅の仲間たちの道中を、どうぞお楽しみください。(毎週火・金曜日更新! この旅のはじまりについてはこちら

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再びフライト

1階はバイク屋、2階はカフェのJars of Clay

 昼食はJars of Clay Cafeという教会関係のレストランで食べた。そこであらためて今回のカンボジアでの旅の仲間が互いに紹介された。まず、ルイ君を含めてメディアチーム3人の紹介があった。ほかに、今回はサヤパが在米ミャンマー人教会で奉仕があるということで、またティリニは婚約して結婚式準備に入ったのでそれぞれ欠席ということだった。

 僕は播義也先生にここしばらくの自分の身に起きた不思議な神様の導きを話して、今後は本格的にアジアンアクセス・ジャパンの働きにスタッフとして加わりたい旨を申し入れた。もとより声をかけてもらっていたので、喜んで受けとめてもらった。このPALDの旅と不思議と絡み合いながら、僕の普段の働きや歩みの中にも神様の導きがたくさんあった。この最後の旅に合わせて、また新しいことが始まっていくことが同時に起きていて、神様の計画は本当に驚くべきものだと感じている。

 さて、昼食を終えてレストランを出ると再び空港へ向かう。
 今日中に国内移動をするのだ。
 空港についてみると、さっき到着した時は気づかなかった「吉野家」が空港内にあることに気づいた。
 少し話が脱線するが、アメリカの神学校にいた時代、ニューヨークの吉野家を偶然見つけた時も妙な嬉しさを感じたがそれに近い気持ちがした。ただ、ニューヨークで思わず店に入った時は「牛丼」ではなく、Beef Bowlという呼び名にまた距離を感じてしまったのだが、なぜか「つゆだく」は通じるという噂を信じて注文すると本当に出てきたことを思い出す。

憧れのアンコールワットへ

 本題に戻ろう。
 飛行機に乗って今度はシェムリアップ(SIEM REAP)のアンコール国際空港に到着した。外に出ると、ここはとにかく暑い。
 名前から分かる通り、ここはアンコールワットの街として有名だ。空港も市街に向かう道もよく整備されているが、以前来たことのある播先生は驚きながら「昔はこんなにきれいじゃなかった」と言う。
 どうやら、ここ10年くらいで一気に整備されてきているらしい。国をあげての整備のようで、聞くところによれば、地域の建物はアンコールワットより低い高さに制限されているらしい。街の景観を守ろうとする姿勢は京都みたいだなと思った。本気を感じる。

空港建物の見た目からして雰囲気出てるアンコール国際空港

 アンコールワットは元考古学青年の僕にとって「いつか行ってみたい場所」ランキングのかなり上位で、正直機会はないだろうなと思っていたところだったので、今回訪れる機会が与えられたのは本当に嬉しかった。前回のミャンマーのベガン遺跡に続き、望外の神様からの恵みだと思った。
 今日はもう日暮れなので、ホテルで休み、明日早くからアンコールワットを見学するという。楽しみだ!

 ホテルで夕食を終えて寝る前に、ダレが信仰をもった証しと、ポルポト時代の影響について分かち合ってくれた。
 ダレはお父さんと、お姉さんのうち3人が殺されている。それが起きたのはダレ自身が2歳の時、1979年だった。だから顔も覚えていないのが悲しいという。そんな状況だったから、ダレは栄養失調の中で育ち、体の育ちが進まず6歳になった時もまだ歩けなかったという。
 また、住んでいた近隣で戦闘行為がよく起こる状況が続いていたために、避難することに決めたのだが、移動のため乗っていたトラックが襲撃を受けてお母さんが足を怪我したりした記憶が残っているという。
 ダレが高校生の時、生き残っていたお姉さんが面倒を見てくれていた。苦しい生活の中で本当に良くしてくれて、将来のためにと英語も習いに行かせてもらっていたという。そして、その英語を教えてくれたのがクリスチャンで、福音を伝えられたのだ。
 ずっと「なぜ自分には父親がいないのか」ということが心の中でわだかまっていたけれど、父なる神様に出会って、初めてその喪失感が不思議に埋められていく経験をしたという。
 1998年に受洗したが、当初、家族は大反対で家から出ていくように言われたらしい。しかし、クリスチャン家庭出身の女性と出会い、結婚して彼自身がクリスチャンとなってから内も外も変わっていく様子を見て、家族も認めてくれるようになっていきて、今はお姉さんも信仰を持とうとしているそうだ。
 ソピもダレも基本的にいつも明るくてお調子者なイメージなので、悲しみがあるからこその笑顔だったのかなと、今までとは違う彼らの姿を知ることができたと思う。

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