《教理を学ぼう!》 最終回 赦されない罪には、どんなものがありますか?

宣教・神学・教育

赦されないのは悔い改めないことだけである

まことに、あなたがたに告げます。人はその犯すどんな罪も赦していただけます。また、神をけがすことを言っても、それはみな赦していただけます。しかし、聖霊をけがす者はだれでも、永遠に赦されず、とこしえの罪に定められます。(マルコの福音書3章28~29節)

イエスがパリサイ人たちに対して、聖霊に逆らう冒涜はこの世であろうと次に来る世であろうと赦されないと警告したのは、彼らはイエスがサタン(ベルゼブル)と手を組んで悪霊どもを追い出していると言っていたからである(マタイ12・32、マルコ3・29~30)。イエスの警告は、イエスがパリサイ人たちの霊的状態をどう見ていたかを表していた。
イエスは、無知の結果としてご自分を冒涜した者が赦されることを祈ることができたし、後に実際にそのように祈った。「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです」(ルカ23・34)。しかしパリサイ人たちに対して、イエスはそのような見方をしなかった。
イエスがご自分で主張しているとおり、神の救い主であると心の中で認めるところまで教え導かれながら、なおかつそのことを公に認めようとしない人々がいるということは、起こり得ることである。なぜなら、そのように認めることが行動面での多くの変化を必要とするからである。イエスを忠実に従う価値などない存在として扱うために、どれほどばかげたものであったとしても理由をあれこれこしらえ、自分自身の道徳的不忠実さに対しても満足感を感じるようになることは可能である。イエスをサタンの仲間だと見なすことによって、パリサイ人たちはまさにこのことを行っているのだと、イエスは明確に感じ取っていた。彼らは無知だったのではない。彼らは信念を押し殺し、真の知識であっても、それが気に入らなければ握りつぶしていた。彼らは断固として光に対して目を閉ざし続け、光を闇と呼ぶことによって自分の良心を無感覚にしていた……(「88赦されない罪」より※『聖書教理がわかる94章』からの抜粋になります。)

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