《受難週の黙想⑦》光を待ち望む
イエスの十字架への道行き:受難週
イエス・キリストがエルサレムで苦難に遭って十字架につけられ、死んで復活する直前までの1週間を「受難週」と言います。特にカトリックや東方教会では、伝統的に、この週に特別な儀式や習慣を行うなどしてイエスが受けた苦難を覚える期間としました。4月4日のイースターを前に、Word of Lifeでは3月28日(日)から毎日1課ずつ、受難週の黙想のテキストをお届けしています。イエスの受難の1週間を黙想によって心に刻み、イースターに備えてみませんか?
(黙想の初回「棕櫚(しゅろ)の主日」(3/28)はこちら)
黙想の行い方 受難週(今年は3/28〜4/3)に1日1課ずつ進められる黙想です。該当の聖書箇所を開きながら黙想のテキストを読み、出来事の場面、登場人物の気持ち、自分ならどうするかなどを、あくまで感じるままに思い巡らしましょう。無理に何かを得ようとする必要はありません。黙想の最後に、テキストの「祈り」を参考にして自分のことばでも祈ってみてください。
イエスの墓の跡とされている場所の一つ、「園の墓」(Wikimedia Commons Photo by Dennis1980)
光を待ち望む
光は闇の中に輝いている。闇はこれに打ち勝たなかった。(ヨハネ1・5)
イエスは十字架に架けられたその日のうちに、墓に葬られました。翌日は安息日、この日の出来事は福音書に何一つも記されていません。闇の一日でした。新しい週への期待など何一つありません。弟子たちは「すべてを捨てて従った」のに、イエスは死に、その教えも、この目で見たみわざの数々も一気に過去のものになって、これからどうしたらいいのか、途方に暮れる思いであったことでしょう。
死を前にすると、私たち人間のどんな考えも、ことばも知識も通用しません。ただ、黙々と受けなければならないのです。すべてが断たれ、諦めるしかありません。先の希望はなく、闇が覆っています。
しかし、人の目にはそうとしか見えなくても、神はご計画をもっておられました。それをイエスは弟子たちに何度も話してこられました。でも、総督ピラトが「もしも」のために番兵をつけたとしても、神のご計画は弟子たちには理解を超えたことでした。
主は新しいいのちの始まりを備えておられるのです。だとしたら、たとえ今が闇に覆われて、絶望に見えたとしても、「光は闇の中に輝いている」。希望は確かにあるのです。
【祈り】 目の前が真っ暗な闇の中を歩くことがあったとしても、すべての望みが絶たれ絶望が覆うときでも、あなたは光そのものです。その光を見失うことがないように、私の心を守ってください。待ち望む信仰の灯火は誰にも吹き消すことはできません。あなたこそわが望み、わが光です。
松村 識 まつむら・さとる:1966年生まれ。1992年、聖書宣教会卒業。日本福音キリスト教会連合(JECA)の甲府キリスト福音教会牧師を務める。
〈「百万人の福音」2020年4月号〉
※トップの写真は、イエスの墓跡に建てられたと言われる聖墳墓教会(Wikimedia Commons Photo by Berthold Werner)