《受難週の黙想⑥》あなたは高価で尊い
イエスの十字架への道行き:受難週
イエス・キリストがエルサレムで苦難に遭って十字架につけられ、死んで復活する直前までの1週間を「受難週」と言います。特にカトリックや東方教会では、伝統的に、この週に特別な儀式や習慣を行うなどしてイエスが受けた苦難を覚える期間としました。4月4日のイースターを前に、Word of Lifeでは3月28日(日)から毎日1課ずつ、受難週の黙想のテキストをお届けしています。イエスの受難の1週間を黙想によって心に刻み、イースターに備えてみませんか?
(黙想の初回「棕櫚(しゅろ)の主日」(3/28)はこちら)
黙想の行い方 受難週(今年は3/28〜4/3)に1日1課ずつ進められる黙想です。該当の聖書箇所を開きながら黙想のテキストを読み、出来事の場面、登場人物の気持ち、自分ならどうするかなどを、あくまで感じるままに思い巡らしましょう。無理に何かを得ようとする必要はありません。黙想の最後に、テキストの「祈り」を参考にして自分のことばでも祈ってみてください。
ジャン・ジュヴネ「キリストの降架」(1697年)(Wikimedia Commons)
あなたは高価で尊い(十字架・埋葬)
十字架・埋葬の対応聖書箇所
・マタイ27章1〜66節 ・マルコ15章1〜47節
・ルカ22章66〜23章56節 ・ヨハネ18章28〜19章42節
三時ごろ、イエスは大声で叫ばれた。「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。」これは、「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。(マタイ27・46)
イエスがここに大声で叫ばれた叫び、それは永遠に一つである三位一体の神が引き裂かれる痛みです。裏切りや分裂の横行する世のそれとはまったく違う、深い孤独と悲しみの叫びです。主イエスは十字架に先立って、ゲツセマネの園で苦渋の祈りをささげられました。「どうか、この杯をわたしから取り去ってください。しかし、わたしの望むことではなく、あなたがお望みになることが行われますように」(マルコ14・36)。そしてすべてを明け渡して十字架に向かわれました。
すべてが罪の贖いのためです。義なる神が赦しを与えるためには、いのちの代価が必要でした。イエスの血、それが贖いの代価です。主イエスが息絶えた時、神殿の幕が真っ二つに裂けました。すべての隔てが取り去られたしるしです。すべてが贖われ、すべてが赦されました。それほどに私は愛されています。なぜなら、「わたしの目には、あなたは高価で尊い。 わたしはあなたを愛している」(イザヤ43・4)というまなざしを、イエスは向けておられるからです。
【祈り】 いのちを捨て、父から絶たれる痛みをもって私を贖ってくださったことにただ感謝をします。私の罪の深さと父の愛の大きさを覚えさせてください。
松村 識 まつむら・さとる:1966年生まれ。1992年、聖書宣教会卒業。日本福音キリスト教会連合(JECA)の甲府キリスト福音教会牧師を務める。
〈「百万人の福音」2020年4月号〉
※トップの写真はアンドレア・マンテーニャ「キリストの磔刑」(1459年)(Wikimedia Commons)
受難週の黙想⑦「光を待ち望む」へ >