《受難週の黙想④》自分にできることを
イエスの十字架への道行き:受難週
イエス・キリストがエルサレムで苦難に遭って十字架につけられ、死んで復活する直前までの1週間を「受難週」と言います。特にカトリックや東方教会では、伝統的に、この週に特別な儀式や習慣を行うなどしてイエスが受けた苦難を覚える期間としました。4月4日のイースターを前に、Word of Lifeでは3月28日(日)から毎日1課ずつ、受難週の黙想のテキストをお届けしています。イエスの受難の1週間を黙想によって心に刻み、イースターに備えてみませんか?
(黙想の初回「棕櫚(しゅろ)の主日」(3/28)はこちら)
黙想の行い方 受難週(今年は3/28〜4/3)に1日1課ずつ進められる黙想です。該当の聖書箇所を開きながら黙想のテキストを読み、出来事の場面、登場人物の気持ち、自分ならどうするかなどを、あくまで感じるままに思い巡らしましょう。無理に何かを得ようとする必要はありません。黙想の最後に、テキストの「祈り」を参考にして自分のことばでも祈ってみてください。
自分にできることを(ベタニヤの塗油)
ベタニヤの塗油の対応聖書箇所
・マタイ26章6〜16節 ・マルコ14章1〜11節
・ルカ(7章36〜50節)、22章1〜6節 ・ヨハネ12章1〜8節
…「彼女は、自分にできることをしたのです。埋葬に備えて、わたしのからだに、前もって香油を塗ってくれました」(マルコ14・3、8)
ナルドの香油、それは大変高価なものです。「何のために無駄にしたのか」とか「貧しい人に施しができたのに」という声が飛びました。そのとき、主イエスは「彼女は、自分にできることをしたのです」と言ってくださいました。贈り物は心です。どんなに高価なものであったとしても、心の伴わないもの、犠牲の伴わないものに真実はありません。神殿でなけなしのレプタ銅貨をささげた女のストーリーも同じことを教えています。「できることを」ささげます。
「まことに、あなたがたに言います。あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、それも最も小さい者たちの一人にしたことは、わたしにしたのです」(マタイ25・40)とイエスが言われたように、神を愛することと人を愛することは同じです。
【祈り】 私も「自分にできることを」精いっぱいささげます。主よ。今日のこの日、私が置かれた場で、隣人を愛し、神を愛することをさせてください。
松村 識 まつむら・さとる:1966年生まれ。1992年、聖書宣教会卒業。日本福音キリスト教会連合(JECA)の甲府キリスト福音教会牧師を務める。
〈「百万人の福音」2020年4月号〉
※トップの写真はフランス・フランケン「シモンの家での食事」(17世紀)(Wikimedia Commons)
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