《受難週の黙想③》なくてはならぬもの
イエスの十字架への道行き:受難週
イエス・キリストがエルサレムで苦難に遭って十字架につけられ、死んで復活する直前までの1週間を「受難週」と言います。特にカトリックや東方教会では、伝統的に、この週に特別な儀式や習慣を行うなどしてイエスが受けた苦難を覚える期間としました。4月4日のイースターを前に、Word of Lifeでは3月28日(日)から毎日1課ずつ、受難週の黙想のテキストをお届けしています。イエスの受難の1週間を黙想によって心に刻み、イースターに備えてみませんか?
(黙想の初回「棕櫚(しゅろ)の主日」(3/28)はこちら)
黙想の行い方 受難週(今年は3/28〜4/3)に1日1課ずつ進められる黙想です。該当の聖書箇所を開きながら黙想のテキストを読み、出来事の場面、登場人物の気持ち、自分ならどうするかなどを、あくまで感じるままに思い巡らしましょう。無理に何かを得ようとする必要はありません。黙想の最後に、テキストの「祈り」を参考にして自分のことばでも祈ってみてください。
なくてはならぬもの(終末の予言)
終末の予言の対応聖書箇所
・マタイ21章18〜26章5節 ・マルコ11章20〜13章37節 ・ルカ20章1〜21章38節
家を建てる者たちが捨てた石、それが要の石となった。(詩篇118・21〜24、マタイ21・42、Ⅰペテロ2・7)
家を建てる者たちが捨てた石、それはイスラエル、あるいは世の支配者たちが不要だとイエスを拒み、十字架につけたことを意味します。
要の石とは、建物を建てるときに最後にピタリと合わせて組み入れる石のことです。それをして建物が建つのです。この詩篇のことばをして、イエスはご自身の使命を教えました。新しいイスラエルである神の教会の要の石だということです。最も近くですべてを見聞きしたペテロは、受難とよみがえりのイエスがお立てになった教会、それこそが神の救いだと確信して、いのちをかけました。私たちはキリストによって建てられる教会に加えられ、世の何ものもなし得ない愛の交わりを建て上げるように選ばれたのです。
【祈り】 イエス様、あなたこそがなくてはならない要の石です。世の建てる国も組織も過ぎゆくものですが、あなたは私を永遠の教会に加えてくださいました。その光栄ある務めを果たさせてください。
松村 識 まつむら・さとる:1966年生まれ。1992年、聖書宣教会卒業。日本福音キリスト教会連合(JECA)の甲府キリスト福音教会牧師を務める。
〈「百万人の福音」2020年4月号〉
※トップの写真はデビッド・ロバーツ「エルサレム包囲戦」(1850年)(Wikimedia Commons)
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