《受難週の黙想②》宮きよめ:3月29日(月)

信仰生活

《受難週の黙想②》宮きよめ

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イエスの十字架への道行き:受難週

 イエス・キリストがエルサレムで苦難に遭って十字架につけられ、死んで復活する直前までの1週間を「受難週」と言います。特にカトリックや東方教会では、伝統的に、この週に特別な儀式や習慣を行うなどしてイエスが受けた苦難を覚える期間としました。4月4日のイースターを前に、Word of Lifeでは3月28日(日)から毎日1課ずつ、受難週の黙想のテキストをお届けしています。イエスの受難の1週間を黙想によって心に刻み、イースターに備えてみませんか?
(黙想の初回「棕櫚(しゅろ)の主日」(3/28)はこちら

黙想の行い方 受難週(今年は3/28〜4/3)に1日1課ずつ進められる黙想です。該当の聖書箇所を開きながら黙想のテキストを読み、出来事の場面、登場人物の気持ち、自分ならどうするかなどを、あくまで感じるままに思い巡らしましょう。無理に何かを得ようとする必要はありません。黙想の最後に、テキストの「祈り」を参考にして自分のことばでも祈ってみてください。

宮きよめ

宮きよめの対応聖書箇所
・マタイ21章12〜17節 ・マルコ11章12〜19節
・ルカ19章45〜48節 ・(ヨハネ2章13〜22節)

  イエスは…彼らに言われた。「『わたしの家は祈りの家でなければならない』と書いてある。それなのに、おまえたちはそれを『強盗の巣』にした。」(ルカ19・45、46) 

 イエスが都に入って、最初にされたのが宮きよめです。神の期待はこんなはずではありませんでした。それで、主は神殿の本来あるべき姿を取り戻されたのです。民の指導者たちは、「何の権威によって、これらのことをしているのか」と尋ねます。復活をして主イエスは、「わたしには天においても地においても、すべての権威が与えられている」(マタイ28・18)ことをはっきりとお示しになりました。
私たちも、「神のかたち」として、神の栄光を現すはずでした。どこで狂ってしまったのでしょう。私たちの心と人生に罪が巣食ってしまったのです。十字架を仰ぐとは、主の権威にひれ伏すことです。イエスの御前にすべてを明け渡すなら、「御子イエスの血がすべての罪から私たちをきよめてくださいます」(Ⅰヨハネ1・7)。

【祈り】 主よ。今、私の罪をきよめてください。あるべき姿に回復させてください。この身をみこころにかなったものに変えてください。

松村 識 まつむら・さとる:1966年生まれ。1992年、聖書宣教会卒業。日本福音キリスト教会連合(JECA)の甲府キリスト福音教会牧師を務める。

〈「百万人の福音」2020年4月号〉
※トップの写真はエル・グレコ「神殿の清め」(1600年頃)(Wikimedia Commons)
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