写真=水梨郁河
《バイブル・エッセイ》「心は晴れる」そらのそら ーー「伝道者の書」とわたし その30
菅野基似(かんの・もとい)と申します。22歳です。ただいま、フリーター生活を始めました。というのも、ついこの間まで神学生として学んでいましたが、持病である「双極性感情障害」にやられ、学び舎から退く決断をしたばかりです。ここではそんな私のささやかな闘病記とともに、私の好きな「伝道者の書」のことばをご紹介し、ともに味わいたく思います。
それに加えて、まだ理解が進みきっていない「双極性感情障害」という病をご紹介し、少しでも誰かのお役に立てればと願っています。
第10章「小さな死んだハエ」その3
わずかな悪
私はふっくらとした焼き立てのパンが好きです。そんなパンを自分でも上手に作りたいと思い、あるとき粉を用意して、必要なものを混ぜて、こねました。オーブンに入れてスイッチを入れた私は得意げです。──イメージはしっかりできていました。
けれども残念なことに、イースト菌を入れ忘れた生地は焼いてもふくらまず、平べったくて、ただの固い粉のかたまりにしかなりませんでした。
そんななんてことない私の失敗談ですが、確かにイースト菌を混ぜればパンはふっくらとふくらむのです。そして使徒パウロは、中にわずかでもパン種が入り込めば、粉全体がふくらむようなパン種の性質にたとえて、教会の中に入り込んだわずかな悪が教会全体を台無しにしてしまう危険を「わずかなパン種が、こねた粉全体をふくらませる」(ガラテヤ書5章9節)と語っています。
少しの愚かさ
実は、伝道者の書10章1節のことばも似ている節があります。
死んだハエは、
調香師の香油を臭くし、腐らせる。
少しの愚かさは、知恵や栄誉よりも重い。 (伝道者の書10章1節)
調香師が手を施した香油はきれいで良い香りがするはずです。しかしそこに、ほんのわずかばかりの悪、すなわち小さな死んだハエが落ちると発酵して、せっかくの香りが臭くなり、全体が腐ってしまうというのです。
この小さな死んだハエは、まさしく人の心に入り込んだわずかばかりの罪のことを言っています。これこそ罪の性質であり、恐ろしさだと伝道者の知恵は言わんばかりです。
ユダヤ人大量虐殺
私は人の罪を考えるときに、恐ろしいナチス・ドイツによるユダヤ人大量虐殺のことを考えます。ナチス・ドイツはユダヤ人たちを迫害し、一斉に殺害していきました。また殺害されたのはユダヤ人だけではなく、心身障害者なども含まれている事実に言葉を失います。信じられないほどの人々が強制収容所に収監され、ガス室に閉じ込められ、そこで息絶えたのです。
アドルフ・アイヒマンという人物は戦時中、ユダヤ人大量虐殺に関わったナチス・ドイツの親衛隊将校で、中核的な戦犯でした。戦後、アルゼンチンに逃亡していましたが、見つかり逮捕され、裁判にかけられ、その後、処刑されました。
そして、その裁判を傍聴した人々を驚かせたことがありました。それはアイヒマンの「普通さ」でした。ナチス・ドイツによるユダヤ人大量虐殺に深く関わった人物とは、それは恐ろしい極悪非道な人物だと思っていたら、なんと普通の人間だったのです。悪党の巨魁ではなく、普通の平凡なドイツ人に過ぎなかった。しかしこの衝撃こそ、人の悪とはいかなるものかを問いかけるのです。
すべての人に存在する「少しの愚かさ」。これは奇妙な言い方ですが、ナチス・ドイツのような大きな悪を犯しかねない可能性をすべての人が秘めていると言えるのではないでしょうか。盗み、偽り、奪い、人を殺していく。そういう凶悪さがすべての人に存在する。私は恐ろしさのあまり、その事実を直視したくはないのです。
スリルによる誘惑
高校生の私は万引きをしようと思ったことがありました。財布の中にはお金はありました。けれども店の死角となっているところで盗んでもばれないと思ったのです。そのスリルに誘惑されたのです。目当ての商品を手に取り、私は懐に入れようとしました。その瞬間に「自分も立派な犯罪者になれる」という事実に気がつき、恐ろしくなり、商品を棚に戻しました。今でも忘れることのできない記憶です。
さて、この恐ろしい闇を抱える私たちの救いは主イエスのもとにしかありません。主イエスはテトスへの手紙3章5節にあるように、「聖霊による再生と刷新の洗いをもって、私たちを救って」くださるお方です。今こそ、悪を洗ってくださる主イエスの血潮をいただく時だとは思いませんか。