《バイブル・エッセイ》「心は晴れる」そらのそら ーー「伝道者の書」とわたし その26

信仰生活

写真=芳賀真理子

《バイブル・エッセイ》「心は晴れる」そらのそら ーー「伝道者の書」とわたし その26


菅野基似(かんの・もとい)と申します。22歳です。ただいま、フリーター生活を始めました。というのも、ついこの間まで神学生として学んでいましたが、持病である「双極性感情障害」にやられ、学び舎から退く決断をしたばかりです。ここではそんな私のささやかな闘病記とともに、私の好きな「伝道者の書」のことばをご紹介し、ともに味わいたく思います。
それに加えて、まだ理解が進みきっていない「双極性感情障害」という病をご紹介し、少しでも誰かのお役に立てればと願っています。

第9章「生きる者の希望」その2

一番いてほしいときにいない


ここでひとつ、私が時々経験するおぞましい体験を語らせてください。ある時、私は自分のSNSにこんなことを書きました。

「うつのときって、ほんとうに全く神さまが見えなくなるときがある。僕のこころにいた神さまが全くどこにいったのかわからなくなるときがある。一番いてほしいときにいない。信仰生活を送っていて、いつも信頼していた方がその時にいない。非常につらいんだ。……突然闇がやってきて、突然イエスさまがいなくなる。この恐怖を知っていますか。……こんなこと、つぶやいたらだめだよね。」(2018年1月)

『うつ』と『躁』の二つの混合状態


過去の記録ですが、今読み返してもあの時のつらい記憶は鮮明に思い出します。双極性感情障害とは「うつ」と「躁」の二つの状態を経験する病ですが、時にその二つがミックスして「混合状態」になることがあります。その状態は私を非常に疲れ果てさせ、死ぬことを意識させます。双極性感情障害は悲しいことにそうしたことから自殺率が高い病としても知られています。私自身の経験から言っても、この病は恐ろしいほどまでに人を追い込みます。
混合状態とは、ベース(心)がうつ状態なのに、身体は躁状態で活発に動けてしまう。つまり自死への具体的な行動が起きやすい状態のことです。

心の目が見えなくなる恐怖


そうした混合状態にまで達したときに私はおぞましい経験をするようになりました。それは神様が本当にわからなくなる、という体験です。どのように表現したらよいかわからないのですが、ただ「気持ちの問題」とだけでは済まされない変な感覚です。意識はあって、目も覚めています。けれども、どう考えても、どう思ってもそこに神様を見いだすことができないのです。体は起きているのに、心の目が完全にシャットダウンされているように感じます。真っ暗闇がそこにあるのです。
その心の目が見えなくなる恐怖は言い表しようがありません。繰り返しますが、本当に見えなくなる、わからなくなるのです。

双極性感情障害の波


時系列通りではないのですが、そうした双極性感情障害の波は私の学生生活を破壊しました。大学1年生の春、私は深夜の三時に目覚めて、外に出ました。気づけばロープを手に持っていて、それを木にかけて、自分の首をそこに合わせました。
──下手をしたら死んでいました。それで私は一度目の休学をしました。長い休学期間を経て、それでも学びに戻ろうとする自分の姿がありました。しかし、私はまた体調を崩します。そして今度は人生で初めて精神科の閉鎖病棟に入院を経験しました。プライバシーが十分に守られない環境で私は3か月間、入院をしました。靴紐、ベルト、ロープ類は全部没収。そして初回の入浴には女性の看護師が見張る。若い私にとってその経験は非常につらいものでした。

神様の臨在がなくなる

そういう痛みの何がつらいかと言えば、神様が見えなくなる、ということに尽きます。神様の臨在がなくなる、ぽっかりと心の中から神様が消えてしまう──。もちろん神様は消える方ではありません。常に共にいてくださるお方です。しかし、病が私の心を盲目にしたのです。本当につらい時です。

退院して自宅に帰ったある夕刻──。ひとり自室でロープを首に巻いているところを母が来て助けてくれた時がありました。母が「ごめんね、そのつらさをわかってあげられなくてごめんね」と私を抱きしめてくれました。二人で長い時間泣き続けたことをよく覚えています。

なによりもつらいこと

日の下で行われることすべてのうちで最も悪いことは、同じ結末がすべての人に臨むということ。そのうえ、人の子らの心が悪に満ち、生きている間は彼らの心に狂気があり、その後で死人のところに行くということだ。(伝道者の書9章3節)

やはり、私たちは罪人として、波に揉まれながら、はかなくも死んでいく、そんな存在に過ぎないのでしょうか──。そうであるならば、これほどつらいことはありません。(つづく)

 

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