写真=国府田祝子
《バイブル・エッセイ》「心は晴れる」そらのそら ーー「伝道者の書」とわたし その20
菅野基似(かんの・もとい)と申します。22歳です。ただいま、フリーター生活を始めました。というのも、ついこの間まで神学生として学んでいましたが、持病である「双極性感情障害」にやられ、学び舎から退く決断をしたばかりです。ここではそんな私のささやかな闘病記とともに、私の好きな「伝道者の書」のことばをご紹介し、ともに味わいたく思います。
それに加えて、まだ理解が進みきっていない「双極性感情障害」という病をご紹介し、少しでも誰かのお役に立てればと願っています。
第7章「心は晴れる」その2
取り返しのつかないこと
あるとき私は、親しい仲にあった友人を過去に亡くしたという方と出会いました。そしてその方の思い出話を聞く機会がありました。その時、私は失言をしてしまいます。思い出話をしている方に対して、私は、「亡くなった方の存在が心に残っているのですね」というところを「亡くなった方の存在を今でも引きずっているのですね」と言ってしまったのです。その方はショックを受け、涙を流されました。慌てて訂正をしても、その方を傷つけてしまったことは今となっては取り返しのつかないことです。
引きずっている
「引きずっている」という言葉は人を傷つけますが、「悲しみ」を考える上で大切な視点だと思うのです。この場では「悲しみ」が「心に深く残っていて消えない」という表現にしておきます。
だからこそ、そういう意味において、一過性の「笑い」に比べて、「悲しみ」とは何だか持続する力と思えてなりません。
笑いと悲しみは違う
それは私が神学校で学んでいた頃、体調を崩して休学をした時のことです。一人で奥多摩の山で静まったことがありました。そこでこの伝道者の書7章と向き合ったのです。当時のメモにこんなことを書いていました。
「笑いと悲しみは違う。……笑いとは、その場限りのものではないだろうか。その場、その場の出来事であって一時的なものであると、伝道者は示唆している。 しかし、悲しみはどうだろう。何年も前に子どもを亡くした親は何年も悲しみ続ける。最愛の人が亡くなって数か月、数年たっても、あの人のことを覚えるたびに、何だか悲しくなるものだ。──それが悲しみではないだろうか。」
(2018年2月20日奥多摩にて)
悲しみはいつもあるもの
人が死んで、あらゆる慰めがあるにしろ、人の心からそう簡単に悲しみは消えていくことはありません。心の根底に悲しみはいつもあるものです。私たちには今、どのような悲しみがあるでしょうか。
悲しみと向き合い始める
私が悲しみと向き合い始めるようになったのは双極性感情障害であると自分自身が診断された時からでした。それ以前はよくわからない自分の心の浮き沈みに、いわゆる「病み期」や、「五月病」だと思い込んでさほど気にしていませんでした。
けれども私の体調の悪さを心配した方が病院に行くことを勧めて、そして付き添ってくれました。それから何度か病院に行く中で、はじめは「うつ病」だと診断されたことを覚えています。そして薬を処方してもらい、家に帰りました。けれども薬は飲まず、病院にも続けて行くことを避けました。何だか自分が「精神的に弱いやつ」だと思うことが嫌だったのです。だから薬を飲むことについても非常な嫌悪感を抱きました。
けれども、体は一向に良くならないばかりか悪化していきました。それで半ば強制的に病院に戻されました。何度か通ううちに、そこで改めて双極性感情障害だという診断をされたのでした。
「私」と「悲しみ」の旅は始まり
それから「私」と「悲しみ」の旅は始まりました。そういう「病気持ち」の自分を受け入れることは難しいです。たとえば、高校3年生の頃に診断を受けてからというもの、私はストレートで大学に進学することができませんでした。大切な受験シーズンに体調を見事に崩し、願書を提出することさえできませんでした。
フリーターを一年経験するも、一人暮らしも続かず、結局は親の元で生活をしました。それからようやく学び舎で学ぶことがゆるされたものの、三度の休学、そして二度の精神病棟での入院を経験しました。学びたいことはあるのに学べない。普通に生活したいのに、それができない。私は2019年の春をもって学び舎を退く決断をしました。大きな悲しみです。どうしたらこの悲しみを払拭できるのでしょうか。(つづく)