《バイブル・エッセイ》「心は晴れる」そらのそら ーー「伝道者の書」とわたし その19

信仰生活

写真=梶山大

《バイブル・エッセイ》「心は晴れる」そらのそら ーー「伝道者の書」とわたし その19


菅野基似(かんの・もとい)と申します。22歳です。ただいま、フリーター生活を始めました。というのも、ついこの間まで神学生として学んでいましたが、持病である「双極性感情障害」にやられ、学び舎から退く決断をしたばかりです。ここではそんな私のささやかな闘病記とともに、私の好きな「伝道者の書」のことばをご紹介し、ともに味わいたく思います。
それに加えて、まだ理解が進みきっていない「双極性感情障害」という病をご紹介し、少しでも誰かのお役に立てればと願っています。

第7章「心は晴れる」その1

死ぬ日は生まれる日にまさる

名声は良い香油にまさり、
死ぬ日は生まれる日にまさる。
祝宴の家に行くよりは、
喪中の家に行くほうがよい。
そこには、すべての人の終わりがあり、
生きている者が
それを心に留めるようになるからだ。
(伝道者の書7章1節~2節)

伝道者の書もいよいよ折り返し、第7章の登場です。伝道者はまず人の死というものを取り上げます。私が人の死というものをちゃんと意識するようになったのはごく最近のことです。敬愛していた方が突然天に召されたのでした。それはあまりに突然の訃報で、深い悲しみを経験することになりました。しかしそんな悲しい出来事なのに、伝道者は言います。「死ぬ日は生まれる日にまさる」(1節)と。それに「喪中の家に行くほうがよい」(2節)。なんと不謹慎極まりないことばの数々。──でも、これは真実です。
当時、私はあの時の心境を忘れないように思いをメモに綴っていました。──「人の死とはなんと力のあるものだ」と。

訴えかける悲しみ


──人の死には力があります。人の心に訴えかける悲しみが人を動かします。ある者は泣きじゃくり、ある者は放心状態になります。それぞれの心に人の死というものは入り込み、作用するのです。それがどのような実を結んでいくかは分かりません。ただ、分かりやすいのは葬儀の場での説教です。人の死が生んだ説教のことばに人は心を動かされるのではないでしょうか。そして、やがて時が流れたときに人は御国への希望に目を向けるようになります。7章2節に伝道者らしい逆説的なことばがありました。

すべての人の終わり

そこには、すべての人の終わりがあり、
生きている者が
それを心に留めるようになるからだ。
(伝道者の書7章2節)

──しかし、私たちはここで伝道者渾身の逆説中の逆説を見ることになります。それは7章3節です。

悲しみは笑いにまさる

悲しみは笑いにまさる。
顔が曇ると心は良くなる。
(伝道者の書7章3節)

 この聖書のことばを読んですぐにその意味が分かる人は多くはないでしょう。なんだか分かるようで分からない聖書のことばです。でも、しばらくの間、この一節に心を奪われてみませんか。

 「悲しみは笑いにまさる」──ふむふむ。ではまず先に「笑い」とはなんでしょうか。「いいじゃないですか、人は笑っている時が素敵です」と、そういう声が聞こえてきます。確かに、確かに。笑いとは人が楽しんでいる時に生まれるものです。ただ、伝道者は「笑い」について次のように警告しています。

愚かな者の笑い

愚かな者の笑いは、
鍋の下の茨がはじける音のよう。
これもまた空しい。
(伝道者の書7章6節)

 乾いた茨がパチパチと音を立てて、あっという間にその存在が燃え尽きて消えていくように、笑いとは一瞬のうちに消え去っていくものであると伝道者は言います。きっと私たちにもそういう経験があるのだと思います。なんだか楽しいようだけれども、振り返って手のひらをひろげてみた時に、そこには何一つ何も残っていなかった、あの空しさ。何も実っていなかったことを知る、あの虚無感。誰しもが経験しています。

伝道者が嫌う笑い

笑いか。私は言う。それは狂気だ。
快楽か。それがいったい何だろう。
(伝道者の書2章2節)

 笑いとは決して悪いものではない。しかし、伝道者の笑いに対する評価は辛辣です。伝道者が嫌う笑いがあります。というのは、笑いには心に残っていく、あるいは蓄積されていくというよりも、一過性でパチパチと音を立てながら、簡単に消えてしまうという側面があるからではないでしょうか。確かに、楽しい経験や笑い合える友がいると思います。しかし、そのとき「悲しみ」は私たちの心のどこに存在しているのでしょうか。実に、私たちは悲しみを隠して、笑おうとする危険があります。(つづく)

 

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