《バイブル・エッセイ》「心は晴れる」そらのそら ーー「伝道者の書」とわたし その18

信仰生活

写真=齊藤エステル

《バイブル・エッセイ》「心は晴れる」そらのそら ーー「伝道者の書」とわたし その18


菅野基似(かんの・もとい)と申します。22歳です。ただいま、フリーター生活を始めました。というのも、ついこの間まで神学生として学んでいましたが、持病である「双極性感情障害」にやられ、学び舎から退く決断をしたばかりです。ここではそんな私のささやかな闘病記とともに、私の好きな「伝道者の書」のことばをご紹介し、ともに味わいたく思います。
それに加えて、まだ理解が進みきっていない「双極性感情障害」という病をご紹介し、少しでも誰かのお役に立てればと願っています。

第6章「感動に似た畏れ」その3

どこにも行けない八方塞がり


残された二つの疑問文に私たちは頭を悩ませます。
どこにも行けない八方塞がり──。しかし、よくよく考えよ。「信仰」という名の道があるではないか、と伝道者は言いたげです。
神学校の先輩がある時、交通事故を起こしてしまったそうです。単独事故で幸い誰も怪我をすることはなかったそうです。ただ、車は大破し、走行不能になりました。
そんな大きな事故を起こした先輩は大破した車から脱出し、全てを振り返った時、「感動に似た畏れ」を抱いたと、ヤコブの手紙を開きつつ、神学校のチャペルで語っていました。

感動に似た畏れ


「感動に似た畏れ」──それは魅力あることばです。確かにヤコブのことばを見るとわかることがあります。私たちは神様の前に傲慢さを持ち合わせたままで生きようとします。しかし、それがどれほど愚かなことであるかを恥じるべきです。
私たちは自分が生かされていることを知る時、感動に似た神への畏れを抱くはずです。このちっぽけな私のいのちの鼓動さえ、神に聴かれている。普段ならそんなこと意識はしない。当たり前のことだと思ってしまう。けれども、大破した車から逃れ出て、興奮した心を沈め、少し痛んだ体を見る時に込み上げてくる涙がある。

「生きよ」


──あぁ、自分は今、「生きよ」と命じられている。
そこで人はわかってくるのです。自分は生かされているのだと。生きること、それは主のみこころでした。ヤコブも言っています。──

「主のみこころであれば、
私たちは生きて、このこと、
あるいは、あのことをしよう」
(ヤコブ4章15節)

私たちの生きがい


私たちの生きがいとは、生きることが主のみこころであることがわかる時です。神から離れ、身勝手に生きる苦しい生き方から、主のみこころに生きようと思えてくる──。
ここに感動があります。ただひとつの道が見えてきました。あの伝道者の二つの問いに八方塞がりになった私たちは必然的にこの道に辿り着くのです。

道筋

その道筋は教えてくれます。私自身、悩みながら生きて、時に息が詰まる中で私はこのいのちを自分で断とうとしたことがありました。けれども、私は今、生きている──。なぜなら、それが主のみこころだからです。
私たちの生きる力は、自分が生きることが主のみこころであるという確かさです。あやふやに何気なく生きることはいくらでもできる。けれども、なんで生まれ、何のために生きるのか。この生の意味を問うても、私たちは知りません。誰に聞いても、自分に聞いても分かりません。しかし、この問いの答えを知りたい──。
では、ここに神を据えたらどうでしょうか。自分は分からなくても、神は知っている。ならば、「神よ、なぜですか」と聞いてみよう。

一筋の光

だが今、主はこう言われる。
……あなたを形造った方が。
「恐れるな。……あなたは、わたしのもの」
(イザヤ書43章1節)

神に聞いて、聖書を開く時、そこに答えは必ずあります。「あなたは、わたしのもの」(イザヤ43章1節)と。この造り主を信じずしてどう生きるのでしょうか。生きる意味は神のもとにあるのです。
八方塞がりから見えた一筋の光は私たちを神のもとへと連れて行ってくれました。私たちのいのちの行方を「だれが知るだろうか」。いや、知っている方がいます。私たちの生きる意味を「だれが人に告げることができるだろうか」。大丈夫、ちゃんと教えてくれる方がいます!
私たちは今、生かされている。そこに殺すことも生かすこともできるお方が私に「生きよ」と命じられている事実への感動があり、神への畏れがある。まさしく感動に似た畏れなのです。今も胸に手を当てる時に分かる鼓動が主の御手の中にあること、それは言葉に言い表せない神秘です(ローマ11章33節〜36節)。だからこそ、これからも、この神にあって、私たちは生きてよいのです。

神の知恵と知識の富

ああ、神の知恵と知識の富は、なんと深いことでしょう。神のさばきはなんと知り尽くしがたく、神の道はなんと極めがたいことでしょう。「だれが主の心を知っているのですか。だれが主の助言者になったのですか。だれがまず主に与え、主から報いを受けるのですか。」すべてのものが神から発し、神によって成り、神に至るのです。この神に、栄光がとこしえにありますように。アーメン。(ローマ11章33節〜36節)

 

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