《バイブル・エッセイ》「心は晴れる」そらのそら ーー「伝道者の書」とわたし その15

証し・メッセージ

写真=菅野慈

《バイブル・エッセイ》「心は晴れる」そらのそら ーー「伝道者の書」とわたし その14


菅野基似(かんの・もとい)と申します。22歳です。ただいま、フリーター生活を始めました。というのも、ついこの間まで神学生として学んでいましたが、持病である「双極性感情障害」にやられ、学び舎から退く決断をしたばかりです。ここではそんな私のささやかな闘病記とともに、私の好きな「伝道者の書」のことばをご紹介し、ともに味わいたく思います。
それに加えて、まだ理解が進みきっていない「双極性感情障害」という病をご紹介し、少しでも誰かのお役に立てればと願っています。

第5章「くよくよ思わない」その3

一人のピエロ


「道化師のソネット」というさだまさしの歌は一人のピエロの事故死がきっかけで作られました。そのピエロは綱渡りでサーカスを観に来る人々に夢と笑顔を送り続けていました。そんなピエロはある時、ロープから転落し、事故死してしまいます。そんなピエロを偲んで「道化師のソネット」は作られました。「道化師」と書いて曲中では「ピエロ」と歌います。現代を生きる私たちが抱える深い哀しみ。そんな現代人の心に歌詞は寄り添います。そして一人のピエロが最期まで人々に夢と笑顔を与えたように、自分もピエロになってしあわせを誰かに届けたい、そんな歌が私をとりこにしたのでした。
自分を犠牲にして誰かのしあわせのために何かをしたい──。これはきっと神が人に与える最大の喜びなのでしょう。誰かの役に立てて、そして誰かの笑顔がなれる。それは幸せだとしみじみ思います。

しあわせを届けてくれる人々


気づけば私の周りにはそんなピエロがたくさんいます。私のために祈ってくれて、私にしあわせを届けてくれる人々がいるのです。まさに神様からの賜物です。そんな幸せな贈り物を心から喜んで受け取りたいと思うのです。
しかしあるとき、友人にこんなことも諭されました。「もっと君は自分を見て、大切にしたほうがいい」──周りのことばかりに目がいって自分の幸せをないがしろにしている、という愛にあふれた指摘でした。

「伝道者の書」とは決して悲観的な書ではありません。むしろ、「神が彼の心を喜びで満たされる」(5章20節)と喜びに生きることを勧めています。喜びに自分自身が生きていないならば、「伝道者の書」を読んだことにはならないと言ってもいいでしょう。

神様からの賜物


きちんと空しさをわきまえ知り、しかし神の与えてくださる賜物を感謝して、受け取り、それを楽しみ味わう幸せ。これが私たちにあるでしょうか。私たちの生涯にはさまざまなことが起こります。時に哀しみに伏せるときもある。しかし、神は立ち直らせてくださいます。あらゆる人々のことばであったり、大自然を見ることであったり、趣味を通してかもしれません。そうやって神様からの賜物を正直に受け取ることができる人は「自分の生涯のことをあれこれ思い返さない」(5章20節)と伝道者は言いました。

自分の生涯


不満や、劣等感、そして喪失感に悩まされ、不幸になっている。そんなクリスチャンになっているのかもしれません。そういう人は自分の生涯のことをあれこれ思い返すでしょう。あんな後悔や、こんな不安。しかし、神様はそんな人々を喜びで満たすお方です。各自、与えられるものがあります。受ける分があります。それは人それぞれ。でも十分なものが与えられています。その喜びを素直に受け取るものでありたいのです。

新改訳第三版では伝道者の書5章20節をこう訳しました。

「こういう人は、自分の生涯のことをくよくよ思わない。神が彼の心を喜びで満たされるからだ。」(新改訳第三版)

神様からの叱咤激励


人生に悲観的になりすぎて、「どうせ、そうでしょ。仕方ないじゃん、どうせ…。」としょげてしまうこともあるでしょう。
しかし、神様を信頼してみてはいかがでしょうか。私たちはもっと自分自身の幸せについて祈り求めてもいいのです。私たちは愛されている神の子どもです。信じられない特権にあるのですから、「どうせ」とつぶやくよりも喜びを生きてはいかがでしょうか。神様を知るとは、くよくよ思わないで、人生に喜びの土台をもつことです。目の前にある喜びを感謝して受け取り、もうくよくよ思うことは捨てて、神様がくださる天国の前味をとことん楽しむものでありましょう。
この聖書のことばはくよくよ思ってしまう人々へ、神様からの叱咤激励、そして慰めのことばです。

 

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