《バイブル・エッセイ》「心は晴れる」そらのそら ーー「伝道者の書」とわたし その13

信仰生活

写真=齊藤エステル

《バイブル・エッセイ》「心は晴れる」そらのそら ーー「伝道者の書」とわたし その13


菅野基似(かんの・もとい)と申します。22歳です。ただいま、フリーター生活を始めました。というのも、ついこの間まで神学生として学んでいましたが、持病である「双極性感情障害」にやられ、学び舎から退く決断をしたばかりです。ここではそんな私のささやかな闘病記とともに、私の好きな「伝道者の書」のことばをご紹介し、ともに味わいたく思います。
それに加えて、まだ理解が進みきっていない「双極性感情障害」という病をご紹介し、少しでも誰かのお役に立てればと願っています。

第5章「くよくよ思わない」その1

心を喜びで…

こういう人は、自分の生涯のことをあれこれ思い返さない。神が彼の心を喜びで満たされるからだ。(伝道者の書5章20節)

「空の空。すべては空。」から始まる伝道者の書だからこそ語れることばがあります。伝道者の書5章20節もその典型的な例でしょう。5章20節を眺めてみます。するとわかることがあります。「伝道者の書」とは決して悲観的な書ではなく、希望に富み、そして前のめりになりながら、先行く祝福に喜ぶことを励ます神のことばなのです。

神はすべてをご存知です

神の宮へ行くときは、自分の足に気をつけよ。
…神の前では、軽々しく心焦ってことばを出すな。
神は天におられ、あなたは地にいるからだ。
だから、ことばを少なくせよ。
(伝道者の書5章1〜2節)

神への礼拝に下手なことばは要りません。神はすべてをご存知です。私たちがどんなことを思っていて、どんな神への不信感を抱いていて、そして煮えたぎる思いをもっていたとしても、神はすでにその思いを知っておられます。
こういうことを聞くと人は神を過度に恐れて、もはや祈りをやめる人もいるかもしれません。しかし、伝道者が言いたいことはそういうことではありません。

素朴で真実な祈りを…


──そうではなく、むしろ安心しなさい。そう伝道者は言いたげです。
神は私たちに素朴で真実な祈りをしてほしいと望んでおられます。心にある率直な思いを祈ってほしいと願っておられます。どんな祈りのことばが適切かを悩むことよりも神が私たちのすべてをご存知であるという基本的な変わらない慰めに目を向けてはいかがでしょうか。

神の御前にさらけ出す


神はすべてをご存知だと言いました。もし、その人の心にない祈りや賛美の声を聞いても、喜ばれることはないでしょう。祈りとは、そして礼拝とは自分の魂を神の御前にさらけ出すことです。ただ人に見せるだけの祈りや、自己満足で終わる賛美など神はもとから望まれていません。
創世記に登場するヤコブは一晩中、神と格闘し、そして新しい生き方を得ました。生ぬるい微妙な生き方をしていたヤコブは神とぶつかったのです。ヤコブは一人になって必死に神にすがりつきました。そして夜が明けようとした頃、ヤコブは全人格を神に委ね切りこう言いました。「私はあなたを去らせません。私を祝福してくださらなければ。」(創世記32章26節)──そうして祝福を受けた、なんとも大胆な祈りです。

人格的な交わり


しかし、そんな祈りこそ神に喜ばれる祈りなのです。神は決してお金を入れたらジュースが出てくる自動販売機のような神ではなく、人格的な交わりをしてくださるお方です。神は、その御名を呼び求め、訴えかけ、ほとばしるような祈りをないがしろにはなさらず、神の前に裸になって祈る人々を喜んでくださるお方です。神は人の真実な祈りを待っておられる──。

ことばを少なくせよ

神の前では、軽々しく心焦ってことばを出すな。…だから、ことばを少なくせよ。(伝道者の書5章2節)

それは、「祈ることばを選び、考え抜きなさい。そしてそのことばで神に訴えなさい。ことばの数ではなく、主はあなたの真実さを求めている」──そう伝道者は私たちを励まします。
伝道者はこうも言いました。「神は天におられ、あなたは地にいる」(5章2節)。なんだか突き放されたようなことばです。しかし、そうではない。祈る相手がいる!神は天におられる!あなたの祈りを聞かれる方はあそこにいる!──そう、伝道者は天を指差しています。だから、安心しなさいと伝道者は私たちの肩にポンっと手を置くのでした。なにやら、無駄に背負っていた荷物が地に落ちて、軽くなった気がします。(つづく)

 

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