《バイブル・エッセイ》「心は晴れる」そらのそら ーー「伝道者の書」とわたし その10

信仰生活

写真=藤田牧人

《バイブル・エッセイ》「心は晴れる」そらのそら ーー「伝道者の書」とわたし その10


菅野基似(かんの・もとい)と申します。22歳です。ただいま、フリーター生活を始めました。というのも、ついこの間まで神学生として学んでいましたが、持病である「双極性感情障害」にやられ、学び舎から退く決断をしたばかりです。ここではそんな私のささやかな闘病記とともに、私の好きな「伝道者の書」のことばをご紹介し、ともに味わいたく思います。
それに加えて、まだ理解が進みきっていない「双極性感情障害」という病をご紹介し、少しでも誰かのお役に立てればと願っています。

第4章「私の戦友」その1

二人は一人よりもまさっている

二人は一人よりもまさっている。
二人の労苦には、良い報いがあるからだ。
どちらかが倒れるときには、
一人がその仲間を起こす。
倒れても起こしてくれる者のいない
ひとりぼっちの人はかわいそうだ。
また、二人が一緒に寝ると温かくなる。
一人ではどうして温かくなるだろうか。
一人なら打ち負かされても、
二人なら立ち向かえる。
三つ撚りの糸は簡単には切れない。
(伝道者の書4章9〜12節)

私たちが生きていく上で決して欠かすことのできないものがあります。それは、人と人との関わり、人と人とのぬくもりです。
伝道者は言いました。「二人は一人よりもまさっている」──このみことばを読んでパッと思い浮かべるのは結婚のことでしょうか。しかし、それだけではないのです。というのは、イスラエルの地域では日中、強く照りつける暑さがありつつも、日が暮れると急激に寒さが訪れるそうです。旅人はみな、体を寄せ合って暖をとるそうです。

人生の旅に温かさ


私たちの人生の旅に温かさはあるでしょうか。ぬくもりがあるでしょうか。ふとした瞬間に石につまずき、倒れて、深い穴に落ちてしまったとき、助けてくれる存在はあるでしょうか。寒さがやってきたときに、身を寄せて暖をとる、そんな友がいるでしょうか。「二人が一緒に寝ると温かくなる。一人ではどうして温かくなるだろうか。」──つまるところ、私たちがこの人生に立ち向かっていくためには、助け合える友が必要なのです。私たちは一人では生きてはいけないのです。

助け合って生きる


「一人で生きていける」──私はそう思って、意地を張っていた時期がありました。けれども、そういう生き方には無理があることに気づいていきます。そもそも人は一人で生きるようにとは創られていない。創世記の「人がひとりでいるのは良くない」とはよく言ったものです。人はそもそも助け合って生きるもの。そのように神は人を創造されたのです。

一つのとげ


パウロという名前は聖書を読んだことがある人なら、何度も聞いていることでしょう。大使徒パウロです。しかし、そんなパウロにも弱さがあったそうです。パウロはこのように語っていました。「私は肉体に一つのとげを与えられました」(コリント人への手紙 第二12章7節)──それはおそらく慢性的な病気で、パウロの宣教の働きの障害となっていました。パウロのような強い人にも弱さがあり、そして苦しんでいたことが伺えます。しかも、パウロはこうも言っています。「この使い(とげ)について、私から去らせてくださるようにと、私は三度、主に願いました。」(コリント人への手紙 第二12章8節)──パウロも病気に苦しみ、そして葛藤をし、癒やしを求めていたのです。しかし神は、パウロの病気をすぐに癒やしたかと言えば、そうではありません。結果的にパウロにとげは留まり続けたのです。

癒やしてください!


多くの人が自分の病に苦しんでいます。そして、藁をもすがる思いで神に祈るのです。「癒やしてください!」しかし、その声があたかも神に届いていないかのように思われる痛みをきっと誰もが経験しているでしょう。

癒やしとは何か


ある時、私の家に友人が訪ねてきました。良い語らいの場となっていました。どんな話の展開だったか、一人の友人が顔を曇らせ、自分の病が癒やされないことを悩んでいると打ち明けました。「祈れば癒やされる」という人もいます。そして確かに癒やされることもある。でも多くの場合、祈った瞬間にパッとずっと悩んでいた痛みが消えたということはなかなかありません。「それは君が不信仰だからだよ」──そんな風に冷たく言われる。そうして次第に自分のことを自分で責めるようにさえなっていく。これは大問題です。でも多くの人が同じように「癒やし」について悩んでいます。神は何をお考えなのでしょうか。(つづく)

 

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