《バイブル・エッセイ》「心は晴れる」そらのそら ーー「伝道者の書」とわたし その7
菅野基似(かんの・もとい)と申します。22歳です。ただいま、フリーター生活を始めました。というのも、ついこの間まで神学生として学んでいましたが、持病である「双極性感情障害」にやられ、学び舎から退く決断をしたばかりです。ここではそんな私のささやかな闘病記とともに、私の好きな「伝道者の書」のことばをご紹介し、ともに味わいたく思います。
それに加えて、まだ理解が進みきっていない「双極性感情障害」という病をご紹介し、少しでも誰かのお役に立てればと願っています。
第3章「神のなさることは」その1
憐れみと愛に富み給う天の父なる神様
憐れみと愛に富み給う天の父なる神様、
今、基似くんのお話を聞きました。
どうか、振り返ってみたときに、
「あの時があって本当に良かった」と
言える日が一日も早く来ますように、
イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
──これは私の母教会の牧師先生と話す度に、最後に祈ってくださった言葉です。
私にとって人生の大きな転機は教会との出会いでした。私は高校生になり、親元を離れ、学校に通えるところにあった祖母の家で暮らすようになります。
そして私は初めて、自分の意志で教会に通うようになりました。そこで牧師と洗礼に向けての学び会も始まりましたが、反比例するように、心の中では「教会」が徐々に小さくなっていきました。
平日に牧師室で行われた学び会も続かず、次第に教会の礼拝からも離れていきました。単純に教会よりも学校やアルバイト先にいることのほうが楽しかったのです。
言葉は要らない
教会からも、そして神様からも私は離れていきました。しかし、それでも「教会」はいつも心のどこかにあったのです。
ある時、いつものようにアルバイトをしていると、牧師先生が来店しました。変な冷や汗が出ました。レジにやってきた先生はアイスだけを買って帰っていきました。
──言葉は要らない。私たちはここにいる。そう、示してくれたに違いありません。
母が後になって言ったことがあります。「基似を神奈川に送り出すのは、まるで暗闇に放り投げるようで怖かった」と。実際、私は見事に放蕩し、体を壊しました。
空しく散っていく
私は随分とさまよいました。大切なものをぽろぽろとこぼしていき、残ったものはほとんどなく、ただ空しく散っていく経験をしました。
アルバイト中に倒れたのをきっかけに、それまでのあらゆる人間関係から私は離れ、ひとり自室に閉じこもる生活も経験します。
そんな高校1年生の3月、私に教会からの知らせが届きました。教会にhi-b.a.(高校生聖書伝道協会)スタッフがやってきて、中高生のための集会が行われる、というものでした。しばらくの間、ひとりとなっていた私はどこか人が恋しくなっていました。
行ってみよう
──「行ってみよう」。そこから私の人生は大きく動き出します。
さて、それは2013年春の出来事でした。1年あまりの時を経て、教会の重たい扉を開けば、心から歓迎をしてくださる教会の方々の姿がありました。
集会が始まると、賛美の歌声、お祈りの声、そしてメッセージ。どれも、これも、あの当時の私にとっては涙がこみ上げてくるほど感慨深いものでした。
神の時
──自分はさまよっていた。ここに確かなものがある。そう、私は確信しました。
すべてのことには定まった時期があり、
天の下のすべての営みに時がある。(伝道者の書3章1節)
伝道者はひとつの大切な知恵を発見しました。それは「神の時」です。この世界の時を神がご支配している、そう伝道者は悟ったのでした。であれば、今を生きる私たちの営みは貴重です。すべての営みに意味があり、神の意図が存在します。
十字架が鮮明に
私の短い人生をこれまで分かち合っていますが、私は今までの人生のすべての時に意味があり、神の意図があったことを私は信じています。幼い頃から入退院を繰り返し、そして不登校となり、社会から跳ね除けられた感覚を味わい、そして、高校生になれば見事な放蕩息子となりました。心身ともに無理をさせ、さらに弱った自分がいたのです。
けれども、あの時、教会に身を寄せた瞬間に訪れた平安を忘れません。私は自分の弱さや愚かさを知ったからこそ、十字架が鮮明に差し迫ってきたのです。それから私は教会に続けて集うようになり、もう一度「洗礼の学び」が始まりました。(つづく)