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《バイブル・エッセイ》「心は晴れる」そらのそら ー「伝道者の書」とわたし その4
菅野基似(かんの・もとい)と申します。22歳です。ただいま、フリーター生活を始めました。というのも、ついこの間まで神学生として学んでいましたが、持病である「双極性感情障害」にやられ、学び舎から退く決断をしたばかりです。ここではそんな私のささやかな闘病記とともに、私の好きな「伝道者の書」のことばをご紹介し、ともに味わいたく思います。
それに加えて、まだ理解が進みきっていない「双極性感情障害」という病をご紹介し、少しでも誰かのお役に立てればと願っています。
第2章「快楽の実験」その1
エルサレムの王
私は心の中で言った。
「さあ、快楽を味わってみるがよい。
楽しんでみるがよい。」
しかし、これもまた、なんと空しいことか。(伝道者の書2章1節)
「伝道者の書」を書いた著者(伝道者)はエルサレムでイスラエルの王であったそうです(伝道者の書1章12節より)。伝道者の財産は莫大で、多くの召使いや家畜を所有し、また他の人が持ち得ない「知恵」がありました。しかしそんな伝道者は悩みました。どうしても拭えない「空しさ」というものに。
「空しさ」はこの地上で生きている限り、かならず遭遇するものです。
しかし、そんな空しさに苛まれる伝道者はここで、「快楽の実験」に走ります。
伝道者は言いました。
伝道者の生き様
私は心の中で考えた。
私の心は知恵によって導かれているが、
からだはぶどう酒で元気づけよう。
人の子がそのいのちの日数の間に
天の下ですることについて、
何が良いかを見るまでは、
愚かさを身につけていよう。(伝道者の書2章3節)
私たちは伝道者の生き様から学べることがあります。人間は生きる中で、ある意味で愚かさに憧れをもつことがあるでしょう。
伝道者は「愚かさを身につけていよう」と言いましたが、これはまさしく、愚かさへの憧れです。伝道者の快楽の大実験が始まります。
伝道者はとことんその快楽を味わうことにしました。お金を稼ぎ、立派な屋敷を建て、美しい庭にたくさんの果樹を植え、男女の奴隷、多くの家畜、そして各地から宝を集め、快楽の中の快楽、多くの愛人を手に入れました。
伝道者の快楽の大実験
自分の目の欲するものは何も拒まず、
心の赴くままに、あらゆることを楽しんだ。(伝道者の書2章10節)
ーこんなことができたらいいな…。
そう、思わず呟きたくなるような伝道者の快楽の大実験でした。快楽をどこまでも楽しんだのだと思います。あらゆる快楽が手に入った伝道者の姿があります。
ふむ、やはりこの空しい生涯の間、人は快楽に溺れる他ないのか。
ところが、伝道者はこの実験結果を最終的にこうまとめています。
イエス様と出会う以前
しかし、私は自分が手がけたあわゆる事業と、
そのために骨折った労苦を振り返った。
見よ。すべては空しく、風を追うようなものだ。
日の下には何一つ益になるものはない。(伝道者の書2章11節)
ーここでも人の努力の結果は空しく散っていきました。快楽に溺れ、楽しみ、笑っても、それが何になるのか。きっと誰しもが同じことをどこかで感じ取って、知っているはずです。
私自身のことを振り返ると、イエス様と出会う以前、私はできる限りの快楽に溺れていたひとりでした。長い期間、登校拒否をしていた私はいつもひとりぼっちでした。しかし高校生になった私の生活は一変しました。
高校にはそれなりに馴染めて、アルバイトも始めました。どれもこれも新しいチャレンジが始まり、初々しく、緊張しつつも、一生懸命に目の前に置かれたものに取り組んでいました。
けれども、そんな私の生活が乱れ始めたのは、初々しい春が終わりを告げようとした頃でした。学校にも友達ができて、そしてアルバイト先のオーナーや同僚との人間関係もできていました。
私にとって人間関係ができるという経験はこれまでの人生の中であまり経験したことがないことでした。だから、素朴に嬉しかったのだと思います。
しかし、私はカルチャーショックを経験します。綺麗な可愛い高校生の先輩が平気でお酒やたばこに親しんでいるのです。世間ではそれが当たり前でした。けれども、私はそういう世界とは馴染みのない家庭で育ってきました。そこで驚いたのと同時に、正直、羨ましく思う自分がいました。
愚かさに憧れ
ー自分もやってみたい。
決して伝道者のように意図して実験に入ったわけではありません。ただ、そういう世界を羨ましく思い、愚かさに憧れる自分がいたのです。(つづく)