新大陸に“輸出”された感染症とキリスト教文化
広がる「世界」と疫病
ルネサンス、宗教改革、大航海時代の始まりによって近世のヨーロッパは幕を開ける。中でも造船・航海技術の向上によって「新大陸」が発見されたことは、多くの冒険者たちを「旧世界」から「新世界」へと駆り立てた。それは同時に、疫病にとってさらなる可能性を広げることにもつながるのである。
交易品を求めてアメリカ大陸に進出したヨーロッパ諸国が原住民を征服し、略奪の限りを尽くしたことは歴史上明らかである。しかし、「征服者」がわずか数百人を率いて数百万人の民を擁するアステカ帝国(現在のメキシコ中部)、インカ帝国(南米大陸東側)などを征服し、原地の伝統・文化・信仰を一掃して自国のものを「移植」できたことについて、歴史学者W・H・マクニールはパンデミックの発生抜きには果たし得なかったと説明する(『疫病と世界史』中公文庫)。
大航海時代のヨーロッパ人は上陸とともにさまざまな病をアメリカ大陸に持ち込んだが、その一つである天然痘が1520年、アステカの首都に突発した。過去に冒された経験がなく、先天的・後天的な抵抗力をまったくもたない人々を感染症が襲った場合、死亡率は急上昇する。たちまちパンデミックが発生し、全住民の3分の1ないし4分の1が死んだと考えられている。その後この天然痘は南下し、インカを襲った。
さらに既に免疫のあったスペイン人に症状が現れないという事実は、疫病が現地人に対する「神罰」であることの「証明」となり、その後立て続けに麻疹、発疹チフスなどが流行するたび再認識されることになった。無論、征服者にとっても新世界の支配・改宗の促し(強要)は「神のみこころ」と思えたことだろう。
天然痘の被害を伝えるアステカの絵(1585年)。パイプによる治療を試みている。(Wikimedia Commons)
変容し頻発する感染症
その後もさまざまな疫病が人類を襲ったが、原因が細菌やウイルスによるものだと解明されていくにつれ「神罰説」は廃れた。中世ヨーロッパのような極端な宗教的反応も一掃され、変容し近年ではより頻発するようになった感染症の前に、宗教、とりわけ信仰の存在価値が問われる時代でもある。振り返れば、異常な状況の中でキリスト者が愛の名の下で人々を助けたこともあれば、他者を排撃したこともあった。両者はいったい何が違ったのだろうか。
新型コロナウイルスの脅威が渦巻く今日、キリスト者はいかに生きるべきかが歴史からも問われている。〈「百万人の福音」2020年7月号〉