《この町この教会》長崎教会を訪ねて

証し・メッセージ

歴史と伝統に神への信頼を加えて

日本キリスト教団  長崎教会

〒850-0918長崎市大浦町9-9 TEL:095-823-7359

 長崎湾の最奥に位置する長崎港を東岸から見下ろす南山手、東山手地区は、江戸末期の開国に伴って整備された旧外国人居留地である。当時の瀟洒な街並みは、市の重要伝統的建築物群保存地区として残され、グラバー園や大浦天主堂、オランダ坂といった観光名所にもその面影を見ることができる。

 この異国情緒あふれる地区の一角に立つ日本基督教団長崎教会(福田英樹牧師)は、居留地時代から始まった長崎最古のプロテスタント教会である。


福田英樹牧師、清美夫妻

怒号の飛び交う中で説教 初期の開拓者、迫害に屈せず

 1869(明治2)年、宣教師ヘンリー・スタウトは、長崎で活動していたグイド・フルベッキの後任として、アメリカのオランダ改革派教会から派遣された。長崎に着任したスタウトは、72(明治5)年、東山手四番の居留地内自宅で聖書を用いた夜間英語塾を開設。多くの若者が集まり、薫陶を受けた。73(明治6)年に禁教令が廃止されると、瀬川浅(せがわ・せん)ら3名が受洗。スタウトと共に礼拝をもつようになった。75(明治8)年、居留地外の梅香崎(うめがさき)5番地に会堂を建築。翌年、10人の信徒らが集い、長崎日本基督公会(後の長崎教会)を設立、初代牧師に瀬川が就任している。禁教令が廃止されたとはいえ、キリスト教に対する差別と偏見は根強かった時代。それでも同教会は、九州地方の伝道拠点として堅く立てられていたという。「教会の初期の時代、迫害団体が押しかけ、礼拝を妨害しようとしたそうです。当時の牧師らは、怒号の飛び交う中で説教をし、それでも信徒が増えていった。そのスピリットを見習わなければ、という思いがします」と、福田牧師は話す。

崎の観光地としても有名なグラバー邸

1865年建設の大浦天主堂。国宝

草創期のにぎわいなくとも…神の御手への信頼

 梅香崎会堂の後、現会堂は1925(大正14)年に建てられたもの。当時としては最新の技術を取り入れた頑丈な建物で、木造ではあったが、原爆投下時も多数の損害を受けたものの倒壊を免れた。「建築士の方の話では、屋根の重さが壁の柱に分散され、礼拝堂内には柱が不要な設計になっているそうです」。その建築技術の希少性や、歴史的建造物としての価値などから、市と県の「まちづくり景観資産」にも指定されている。

 東山手地区にほど近い同教会の存在はガイドブックにも記され、観光客が訪ねてきたり、地元の人がふらりと入ってきたり。長崎では、教会は比較的人々と身近だ。しかし、だからといって礼拝につながるわけではないといい、現在の信徒数は、勢いのあった初期の頃と比べてもかなり少ない。それでも、福田牧師は悲観していない。「ここは神様の教会ですから。今信徒が少なければ少ないほど、これから神様が何をしてくださるかが楽しみなんです」と話す。

 福田牧師は、20代の頃に3度の脳梗塞を発症し、3度めは半身不随に陥った。神に不信感を抱き、教会から離れることを決めたその晩、「立って歩け」のことばとともに癒やされた経験をもつ。以来、生きておられる神を知り、事あるごとにその思いを強くされてきたという。

 「主はかつておられた神ではなく、今も生きておられる神。だからこそ、この主を、宣べ伝えていきたいんです。私たちが福音を伝えようとするとき、主は必ず出会ってくださり、力を与えてくださいますから」。長年の伝統や歴史は、教会の大切な財産となる。しかしそれ以上に、神への信頼をしっかりと握った同教会が、さらに新しい歴史を刻んでいくのが楽しみだ。

【「百万人の福音」2017年9月号より】

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